このブログはNHKとは関係のない個人(私)が、NHK FMラジオで放送された「ラジオ深夜便」の一部の番組内容をメモとして残しておくことを目的としています。ほぼ毎日の内容を不定期に更新していきます。
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二宮尊徳 映画館色つき
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1:00~2:00JST NHK Radio Program: "RADIO SHINNYABIN"
ラジオ深夜便 
アンカー Anchor BK・入江憲一(Irie-Kenichi)さん

     ♪曲目 playlist♪
  1. サザエさん  宇野ゆう子 作詞 林晴夫 作曲者 筒美京平 昭和44年 1969
  2. ドラえもんのうた  大杉久美子、大山のぶよ(セリフ) 作詞 楠部工、補作詞 ばばすすむ 作曲 菊池俊輔 昭和54年 1979
  3. ゆけゆけ飛雄馬(ゆけゆけひゅうま)  アンサンブル・ボッカ 作詞 東京ムービー企画部 作曲 渡辺岳夫 昭和43年 1968
  4. 宇宙戦艦ヤマト  ささきいさおとロイヤルナイツ 作詞 阿久悠 作曲 宮川泰 昭和49年 1974
  5. いつも何度でも  木村弓(きむら・ゆみ)  作詞 覚和歌子 作曲 木村弓 平成13年 2001

  • 「日本語に文法があるように、マンガにも文法があって、その約束が理解できないと読めない」とのこと、そう言われれば、『少女マンガの文法』が理解できなくて、少年マンガは読めても少女マンガはとても読みにくかったことを思い出しました。(小生)

  • 小生の家庭でもTVアニメ「サザエさん」は比較的良く見ています。それにしても長寿番組です。なんという事もない日常の出来事を拾い上げたアニメを見て日曜の夕方に笑っています。(小生)
  • TVアニメの「ドラえもん」は1973年に日本テレビ系列で放映され、その後1979年からテレビ朝日系列で放映され現在でも放映されています。15年ほど前にモスクワに行ったとき、当地の博物館で「科学と子供」と題した企画展示があって、のびたとドラえもんがそのポスターのキャラクターになっていました。(小生)
  • ゆけゆけ飛雄馬」は野球マンガ『巨人の星』のアニメ主題歌です。漫画は昭和41年・1966年から昭和46年・1971年まで『週刊少年マガジン』に連載されましたた。TVアニメでは、昭和43年・1968年3月30日~昭和46年・1971年9月18日によみうりテレビ系で放送されました。また同じ頃創刊された少年ジャンプ (昭和43年8月1日創刊号)には)「父の魂」(貝塚ひろし)も連載されていました。バット職人の父を持つ子供が野球で強くなるお話でした。当時は根性をテーマにした漫画が流行っていました。(小生)
  • 以前に書いた記事ですが、再録します。
     テレビ放送の「宇宙戦艦ヤマト」は初回のクールが昭和46年の10月から翌年の3月まで放送されました。当時SF好きだった小生はSF物のアニメがテレビ放送されるので楽しみに見ていたものでした。比較的原作に忠実で科学考証にも気を使い、絵のタッチも成人漫画っぽくてうならされました。その反面、当時はアニメ番組とはいえ家族そろってテレビを見る習慣がまだ残っていたので、これでは受け入れられないだろうとも思いました。案の定(裏番組に「アルプスの少女イハイジ」が放送されていたこともあって)、視聴率が低いということで、放送予定回を待たずに打ち切りになりました。ところがその半年後、なぜか「宇宙戦艦ヤマト」に火がついて(人気がでて)新たなシリーズとして放送されることになり、映画化もされて日本のアニメ史にのこる作品となりました。新しいシリーズ以降は、科学やテクノロジーに破綻のない表現を期待する(理屈っぽい)SF少年向けではなく、アニメとして楽しめるものとなって多くの人々に受け入れられました。(小生)
  • いつも何度でも」は映画『千と千尋の神隠し』の主題歌です。(入江アンカー)
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1:00~2:00JST NHK Radio Program: "RADIO SHINNYABIN"
ラジオ深夜便 
アンカー Anchor 葛西聖司(Kasai-Seiji)さん

    竹中よし(88才)昭和18年に陸軍に所属していた夫とともに静岡から満州にわたる。終戦後、当時一才だった一人娘の初代さんを連れて日本へ引き上げるが、途中で娘の初代さんは亡くなる。80才を越えてこの経験を後世に残そうと語りはじめた。

  • 大きなお宅の一室を借りて生活していました。豪勢な暮らしでした。楽しかった。
  • 夫は満州国国軍にいました。
  • ソ連軍参戦を聞いて日本人は駅に逃げろといわれ、取るものもとりあえず奉天行きの貨物列車に乗りました。皆殺気立っていました。
  • 雨にうたれ、子供を背負ったまま四日間も列車に乗りました。
  • 国境を越えて朝鮮には行けないとのことで安東(現・遼寧省丹東市)で下ろされました。
  • 一才の子供の具合が悪くなったので安東の病院で診てもらいました。だいぶ良くなった。病院で終戦を迎えました。
  • 避難民の私達は日満ホテルの地下室に収容されました。ポーミー(とうもろこしのおかゆ)を誰かが用意してくれてそれを食べていました。
  • 安東の町にはソ連兵がいました。私は街で男のような格好をして背中に子供を背負って、タバコやポン菓子を売りました。

  • 終戦後、一年近く経った6月頃、2,30人くらいの人が集まって「ホンケイコ」まで歩いていくことにしました。一日7里歩いて一週間の距離と予想しました。
  • 子供の初代を背負って歩いていきました。
  • 途中である奥さんが倒れて死んでしまったので、土をかぶせて遺体を埋めました。その奥さんの子供(男の子)が遺体のそばを離れず、連れて行く体力のある人もいなかったので、その子をそこに残していきました。誰かに拾ってもらえたらいいがなあと思いました。
  • 川を歩いてわたるときに、又一人の子供が流されていきました。両手に一人づづ子供を抱えたお母さんが「どっちの子を手放そうか」とつぶやくのが聞こえました。川は浅かったけれど流れが急だったので、その子供はごろんごろんと流れていきました。
  • 「ホンケイコ・宮野原」に着いて駅や列車を見たときは嬉しかった。
  • コレラの恐れがあるといわれ「てつにし収容所」に押し込められました。
  • 初代はいつも、うとうとしていました。時折目をさまして「お家にかえろうね」と言ったりしました。「うん、もうじきだよ」と答えてやりました。
  • (食料事情が悪かったので)私も30kgくらいにやせてお乳も出なくなり、目もかすんできました。
  • コレラが出ないのがわかってコロ島(日本への引き上け船が出る港)へ行きました。小さな日の丸の旗を見ると皆涙を流して喜びました。

  • 帰国の船中では元気のある人は元気に騒いでいました。私は声も出ないほど疲れていました。
  • おかゆのようなご飯が出ました。初代はおかゆを口に含ませてもいやいやをして、ぼさーとしていました。ゆすったりすると目が開きました。「あーちゃんだよ」と声をかけるとこっりくしていました。
  • 初代はおっぱいを吸う力もなく食べるものも無かったので眠るだけでした。そして「こくん」としたら終わりでした(死んでしまいました)。
  • 船中で亡くなると水葬されるので、子供は死んでいないことにして帰国しました。大泣きすると死んだことが分かるので泣けませんでした。
  • 初代には何度もあやまりました。置いてくれば死なずに済んだかもしれないと思ったりもしました。
  • いまだにお墓の前に行ってあやまっています。私の前に出てくる初代は赤ん坊の姿をしています。生きていれば60いくつになるのにね(笑)。

  • 博多に着いて、初代を火葬しました。
  • 故郷に帰ってみると、両親兄弟達は無事でした。
  • 戦争のことは話す気にならなりませんでした。(国策に踊らされて)悔しい気持ちもありました。あれほど満州に行け行けと言っておきながら、関東軍は私達一般人より先に日本へ逃げだして、誰も助けに来てくれませんでした。

  • 戦争やっちゃいけませんね。女子供がこれだけ苦労する。

  • こういう戦争のことは学校でもいいので伝えていってもいいのではないでしょうか。
  • 満州という国(があったこと)を知らない中学生がいました。もっと現代史を伝えて欲しいと思います。
  • これからの人(孫、ひ孫達)が戦争をやるようになったらどうしようと心配です。


  • 竹中よしさんの引き上げ体験の朗読劇が今年の5月に行われました。この舞台を録画したものが地元の小中高校に配布されることになっているそうです。(葛西アンカー)

  • この放送は今年の8月10日に放送されたものの再放送でした。この体験は語りついで行かねばならないと思います。(小生)
1:00~2:00JST NHK Radio Program: "RADIO SHINNYABIN"
ラジオ深夜便 
アンカー Anchor 葛西聖司(Kasai-Seiji)さん


  • 子供の本を整理していたら「くまさん」(作:レイモンド・ブリッグズ)
    くまさん
    の訳者に角野栄子さんの名前を見かけました。裏表紙のカバーに角野さんの写真が載っていました。この写真にも箒に乗ったキキの人形を手にしています。(小生)
    KADONO-EIKO
  • 二週間ほど前の7月13日に、日テレの金曜ロードショーで「魔女の宅急便」 Part 2 1989年制作/スタジオジブリ が放映されました。(小生)
1:00~2:00JST ラジオ深夜便 インタビュー
アンカー Anchor 葛西聖司(Kasai-Seiji)さん

    八島美夕紀(やしまみゆき)三波春夫 長女・プロデューサー
  • 4/1は三波春夫さんが亡くなってから七回忌です。
  • 1994年にCD3枚組で「平家物語」を発表し、それが遺作となりました。
  • 娘の八島さんによりそのCDを13年ぶりにリニューアルして再プロデュースされました。
  • 昭和47年に「大忠臣蔵」の組曲を出していた。
  • 昭和天皇が崩御されたことをきっかけに、三波は(日本人の心を)後世に語り継ぎたい思いがあり、「平家物語」を出そうと思った。
  • 三波の口癖は「歴史に学ぶことは大切だ。歴史は死んだものではなく、どこを切っても血が出てくるものなのだ」。
  • 「平家物語」の構想は相当長く、原稿用紙で厚さが20cmもあった。そのまま演じると、4時間くらいになるだろうということで、2時間程度に短くしてもらった。歌詞の本に三波の書いた論文のような解説がある。
  • 60代後半でハウスミュージックに挑戦し、若いプレーヤー,コンポーザー、アレンジャーと仕事をした。そのときの仲間が「平家物語」を作るときに手伝ってくださった。
  • 三波は新聞をとてもよく読む人でした。時代のことを知らくては歌えないといっていました。
  • 「平家物語」をリニューアルして再販する理由は、前回のリリースの分は全て売り尽くしていて、市場には出回ってなくてリクエストも多いということから。さらに、三波自身が本を書き、自ら歌い、声色を使って人物を語り分けていることを紹介したい。
  • (平成19年4月23日の再放送でした。)
1:00~2:00JST ラジオ深夜便 列島インタビュー Interview
アンカー 宮川泰夫(Miyagawa-Yasuo)さん
 インタビュアー 宇田川清江(Udagawa-Kiyoe)さん

    坂本和子(さかもと かずこ) 昭和元年・1926年生まれ 80才を超えている 朗読者、声優、俳優、ナレータ、能楽喜多流の謡
  • 「にごりえ」の一部を朗読
  • 『朗読』と『語り』は読むことについては同じ。『朗読』は作品に対する情熱を持って抑制した表現をすることだとおもう。
  • 義太夫の方は、全部覚えていますけれど、本に敬意を表して本を持って演じる。活字から触発されるものがある。
  • 昔(戦後直後)はラジオドラマは1週間くらい練習した。今は一日で本読みから録音までやってしまう。作家の先生が役者を前にして本読みをしてくださった、その読みがとても上手で、私はそのとき人間を描き出す面白さを知った。
  • 「いはばしる たるみのうえの さわらびの もえいずるはるに なりにけるかも」 志貴皇子
  • 「たはむれに ははをせおひて そのあまり かろきになきて さんぽあゆまず」 石川啄木
  • 母音分解 砧の音=きぬたのおと=KINUTANOOTO で KINUTANOTO にならないようにすること。
  • 平家物語を題材にした木下順二の戯曲『子午線の祀り』(群読)に参加した。木下さんから「あなた平家物語はお好き」と聞かれて10年後だった。
  • 地方にも待ってらっしゃる方々がたくさんいらっしゃるとか、お体大切にご活躍ください。(宇田川アンカー)
80歳を超えても一芸に秀でた人はしゃっきりしています。(小生)
4:00~5:00JST ラジオ深夜便 こころの時代 Spiritual Age
アンカー 川野一宇(Kawano-Kazuie)さん
 インタビュアー 上野重喜(Ueno-Shigeki)さん
  • 最初に卒園式の子供たちが歌う声が放送されました。
  • 園長になってもよいかと教授会に諮ったら小塩教授でなく、「園長先生」というあだ名がついてしまった。
  • 幼稚園の子供は正直言ってかわいいですよ。
  • 文学部でドイツ語を教えていたので言葉の大切さがよく分かった。
  • 昔は外国語を学ぶことは外国の文化を学ぶということだった。いまは外国とコミニケーションすることになった。
  • 子供が「なぜ・・・」といろんな事を聞いてくる。その問いかけに答えてやらなくてはならないので幼稚園の先生は大変、でもその心を大切にしてやらなくて はならない。
  • 教育は子供の興味、能力を引っ張り出すのがその役目。
  • 英語をやったり漢字を覚えたりして早期教育が数年前にはやったが、その効果はなかった。こどもは遊ばなきゃ成長しない。
  • 子供が子供らしく遊ぶ遊びが非常に少なくなった。
  • いろんなお子さんがいる中で成長するのがよい。ダウン症のお子さんがいるとほかの子供たちが一緒に遊ぼうとして社会性ができてくる。
  • 子供の成長は階段状にジャンプする。子供の成長は「親が待つこと」が大切。
  • しつけのつもりで子供に「迷惑を掛けないで」という親御さんが多い。子供は迷惑を掛けるもの。言い過ぎると子供が萎縮してしまう。
  • 幼稚園では小学校に入ってからの体力、気力、好奇心を身につけることを考えています。子供らしく育てて小学校に入って勉強したらいい。
  • 早期教育が必要な場合もある。それは小児科の医師によく見てもらった結果、脳の片側に障害がある場合、小さいときから障害のない脳のほうをよく訓練して 言葉・数の感覚を伸ばしておくと、弱いほうの脳を補っていくことが出来る。
  • お母さんとお子さんが目を見合って(アイコンタクト)お話をすること(コミニケーション)を大切にしてほしい。
  • 絵本の読み聞かせはページをめくるときに「間」が出来て言語能力が豊かになる。お父さんのひざの上に子供を乗せて読んであげてほしい。
  • いっしょのテーブルで同じ料理(なべなど)をつつくこの習慣は、家庭がひとつのコミニティになるので(子供の成長にとって)よいと思います。
  • 最後にまた卒園式の子供の歌が流れました。
続きは明日・・・
    小塩節(おしお たかし)
  • 東京大学卒。ドイツ・ケルン大学名誉文学博士、中央大学名誉教授。1997年からフェリス女学院長。2004年6月同理事長就任。
    小塩節さんが理事長(園長兼任)をしている「ひこばえ幼稚園」のホームページ→ http://business4.plala.or.jp/hikobae/index.html
  • だいぶ前に下の娘が卒園式で同じ歌を歌っていたことを思い出して、最初と最後に卒園式の子供の歌が流れた時には思わず胸が熱くなりました。
  • 子供たちが歌っていた歌は「さよなら僕達の幼稚園」(作詞 新沢としひこ 作曲 島筒英夫)です。こちらに歌がありました。→ http://harto-75.or.tv/menu/kodomo/youchien/sayonara1.htm
  • この季節になると、この歌の歌詞のとおりに、下の娘は小学校の入学式が終わると友達と一緒に卒園した保育園にランドセルをしょって挨拶に行っていたことが思い出されます。思い出すとまたウルウルきます。親孝行してくれてます(笑い)。
1:00~2:00JST ラジオ深夜便 インタビュー Interview
アンカー 遠藤ふき子(Endoh-Fukiko)さん
    児童文学者:角野栄子 魔女の宅急便に掛けた願い
  • 鎌倉に自宅がある。最近は出版の仕事で東京に出てくることが多い。仕事は10時から午後4時頃まで、昼間している。夜はあまり仕事をしない。
  • 最初に書いたブラジルの子供の話は、早稲田の先生の進めによって書いた。35歳まで本は書かなかった。その後7年間書かず、2作目は42歳の時に書いた。
  • 子供の頃は父に物語を読んでもらうのが好きだった。字が読めるようになると自分で読んだ。物語は主人公の運命がいろいろ変わっていくのが面白かった。物語を書きたいとは思わなかった。
  • 戦前、5歳で母親を無くしたので、自分のおかけている境遇が寂しかった。自分にも物語の主人公のようにいろんなことが向こうからやってきて変わっていく、そのように自分も(寂しい境遇から)変わっていくことを想像したのではないかと思う。
  • 最初の記憶は、母親のお葬式だった。トラウマになったと思う。人生には人の力ではどうにもならないことがあると思った。
  • 父親に昔話をしてもらった時の情景(口調、場所など)をいろいろといまでも記憶している。一寸法師、舌きりすずめ、桃太郎..お話の思い出で慰められている。
  • 文字が読めるようになったら、絵ばかりでなく文字の多い絵本も読んでほしいと思う。文字から立ち上ってくる情景があると思う。その楽しさを味わってほしい。
  • 本の装丁のできる紀伊国屋書店の出版部に一年半勤めた。結婚して退職し、一年ぐらいして1959年にブラジルに行った。主人が建築家だったので、ブラジルの首都ブラジリアを見に行きたかった。お金がたまったらヨーロッパを見て回って帰国しようと思っていた。
  • 言葉(ポルトガル語)ができなかったので、主人は建築の図面が引けたので就職はすくできたが、言葉ができなかったので給料がやすかった。私も短波放送の広告営業の仕事をした。結構稼げた。
  • 私はとても心配性なんですけど、冒険、好奇心に誘われるって言うことには心配しない。若かったのですね、今考えるとぞっとしますけどね。ヨーロッパとアメリカとカナダを回って帰国した。
  • 帰国して翌年が大阪万博だった。 バ一家だった。
  • その最初の本を書いたことにより、自分が物を書くことが好きだと気づいた。自分の子供のそばで面倒を見ながら、画板を首に掛けて書いた。
  • 「ビルにきえたきつね」(ポプラ社)新宿副都心が浄水場から変わる頃のことを思い出して物語を作った。そこにはイタチや蛇がいた。狐にはあったことはないけれど。
  • 「ズボン船長さんの話」(福音館書店)ブラジルへは船旅(マラッカ海峡→インド洋→ケープタウン→大西洋→ブラジル)だったので、水平線・島々のことが印象に強く残っていた。そこで、リタイヤした船長が少年に昔話をするお話を書いた。
  • 魔女の宅急便」(小学館)娘が小学5年生のとき、箒に乗った魔女が猫を連れ、箒にはラジオがぶら下がっている絵を書いた。魔女の暮らしみたいな絵を7枚くらい書いた。私はそれがきっかけとなって「魔女の宅急便」を書いた。その絵は今でも取ってある。
  • 娘は絵が好きだったので、絵描きになるかと思ったら結婚して外国に住んで童話を書いている。(娘の作品について)いろいろと言いたいが、口にバンソコをしている(笑い)。
  • 「ファンタジーが生まれるとき―『魔女の宅急便』とわたし」(岩波書店)には娘が挿絵を書いてくれている。
  • キキの子供が魔女になるまでは(「魔女の宅急便」を)書きたいなと思っている。
  • 文字から立ち上ってくるような絵が見えものを書きたい。
  • 私が子供の頃に面白い物語を読んで、何かの不安な気持ちのバランスをとっていたと思う。
  • ブラジルは移民の国なので、言葉が通じない。その分想像力を働かせてコミニケーションしようとする。
  • 魔女の宅急便」5巻めが5月に発売される。10代最後のキキが登場する。今6巻目を書いている。

角野栄子(かどの えいこ、1935年 1月1日生まれ)東京都生まれの童話作家絵本作家、ノンフィクション作家、エッセイスト。大学卒業後、出版社に勤務。1960年、25才の時にブラジルに2年間滞在。その体験をもとに描いたノンフィクション「ルイジンニョ少年、ブラジルをたずねて」で作家としてデビューする。1985年に発表した『魔女の宅急便』は代表作のひとつであり、宮崎駿によりアニメ映画化され大ヒットした。
  • 小生の中学の同級生のおじさんでブラジルに農業移民した方がいます。茶目っ気のある方で、現在もブラジルで農場を経営しています。小生、ブラジル移民と言えば農業だけだと思っていました。角野さんのように農業以外のブラジル移民があったとは知りませんでした。あと、ブラジルへの船旅は太平洋を横切り、パナマ運河を通るかマゼラン海峡を通ると思っていました。船の航路としては西回りの方が安全で補給もできるでしょうから、考えてみれば当然でした。勉強になりました。
1:00~2:00JST インタビュー
アンカー 宇田川清江(Udagawa-Kiyoe)さん

丘灯至夫 本名は西山安吉 大正6年・1917年、福島県田村郡小野新町生まれ

 ♪曲目 playlist♪
1.雪夜友情  福重香仁(ふくしげ こうじん) with 少年吟詠隊 作詞 丘灯至夫 作曲 小林亜星 平成18年 2006
2.母灯台  霧島昇 作詞 丘灯至夫 作曲 原六郎 昭和24年 1944
3.白いランプの灯る道  奈良光枝 作詞 丘灯至夫 作曲 古関裕而 昭和26年 1951
4.みどりの雨  藤山一郎 作詞 丘灯至夫 作曲 古関裕而 昭和28年 1953
5.高原列車は行く  岡本敦郎 作詞 丘灯至夫 作曲 古関裕而 昭和29年 1954

6.高校三年生  舟木一夫 作詞 丘灯至夫 作曲 遠藤実 昭和38年 1963
7.ふたりの春  二代目コロムビア・ローズ 作詞 丘灯至夫 作曲 戸塚三博 

・丘灯至夫さんは、西條八十に師事するまでに福島の電灯会社(丘さんのお父さんは東北電力の副社長でした)に入社し、その後福島県の郡山のNHK郡山放送局に入局したそうです。そのうちに戦争が激しくなってアナウンサーのやりくりがつかなくなったので丘さんが一時期アナウンサーをしたそうです。アナウンサーをした丘さんの写真が深夜便の雑誌に出るそうです。
・NHKをやめて毎日新聞で記者をしていたとき、西條八十の娘(三井ふたばこ)に歌謡曲の作詞依頼が来たが断られ、「毎日新聞に作詞をする記者がいるのでそちらに頼んでみたら」ということがあって作詞をした。それが「母灯台」でした。日にちが少なく3,4日で作詞した。
・丘さんは西條八十の詞が好きで、15,6才ころに弟子にしてもらおうと、西條の自宅に行き、西條が出勤で出てくるところをつかまえて弟子入りを申し込んだそうです。
・作詞をするときはヒットを狙おうと考えずに作るそうです。
・3曲目の「白いランプの灯る道」は新宿西口、京王電車の停車場周辺の情景を題材にしたそうです。
・4曲目の「みどりの雨」はもともとは「箱根の雨」だったそうです。レコード会社が題名を変えたそうです。
・毎日新聞社の記者をやりながら作詞をしていて二足のわらじをはいていたそうです。編集部の仲間が理解があって応援してくれたそうです。
・5曲目の「高原列車は行く」のなかで「ハンカチ」でなく「ハンケチ」と言ったのは戦後になって英語が使えるようになったので、(発音に)こだわってより英語に近い「ハンケチ」にしたそうです。
・6曲目の「高校三年生」はレコード会社(コロムビア)は売れるとは思っていなかったそうです。丘さんはこの曲を聞くたびに気持ちが昔に返ってしまう(若返る)そうです。


丘灯至夫さんの詳しいプロフィールがありました。こちら→
http://www7.plala.or.jp/edih/gakuyu/okatosio.html

1曲目の「雪夜友情」は新吟詠です。

7曲目の「ふたりの春」の発売年は不明でした。判明したら追記します。
2:00~3:00JST インタビュー
アンカー 宇田川清江(Udagawa-Kiyoe)さん

丘灯至夫(Oka-Toshio) 本名は西山安吉 大正6年・1917年、福島県田村郡小野新町生まれ

 ♪曲目 playlist♪
1.東京のバスガール  コロムビア・ローズ(初代) 作詞 丘灯至夫 作曲 上原げんと 昭和32年 1957
2.山のロザリア  スリー・グレイセス 作詞 丘灯至夫 ロシヤ民謡 昭和36年 1961
3.襟裳岬  島倉千代子 作詞 丘登至夫 作曲 遠藤実 昭和36年 1961
4.智恵子抄  コロムビア・ローズ(二代目) 作詞 丘灯至夫 作曲 戸塚三博 昭和39年 1964
5.紅三四郎  堀江美都子、コロムビアゆりかご会 作詞 丘灯至夫 作曲 和田香苗 昭和44年 1969

6.君たちがいて僕がいた  舟木一夫 作詞 丘灯至夫 作曲 遠藤実 昭和39年 1964
7.日本を愛す  横山精真 作詞 丘灯至夫 作曲 横山精真 (1コーラスのみ) 平成18年 2006

・発車オーライ」という言葉があるので流行歌ではないと言われてお蔵入りになっていたところ、宝田明さんの「港に灯がつけば」という曲のレコードのB面に収録されたそうです。
・2曲目の「山のロザリア」はもとは「牧場の娘」の名前で別の歌手の歌で発売されましたが、ぜんぜん売れませんでした。後になって、ある人から大阪で歌が流行ってきていて「山の娘ロザリア」という題名にしてくれ、ということで再び発売したそうです。
・西條八十先生からは直接に作詞の指導は受けなかったが、ただ一つ誉められたのは「高校三年生」の詞だったそうです。
・昭和36年あたりから「とんち教室」を代役で10数年務めた。最初は生放送だったが、途中から録音になって、地方へ行って収録したが、出演者の先生達の発表できないような(面白い)話も多かった。
・4曲目の「智恵子抄」の頃は丘さんは病気をしていて、余り作品を出していないそうです。医療費がかさんだそうですが、そのときは「高校三年生」、「智恵子抄」などがヒットして、けっこう潤っていたそうです。 
・学芸部長から「他の会社で作ったアニメソングが売れないので、丘さん作ってくれないか」と持ちかけられて作った5曲目の「紅三四郎」だそうです。この曲がアニメの女王 堀江美都子さんのデビュー曲です。
・詩吟「日本を愛す」の歌碑が御殿場にあるそうです。


御殿場「日本を愛す」の歌碑の写真です。こちら→http://www.tokinosumika.com/gotemba/kahi.html
歌碑のそばには世界一大きなベルもありました。こちら→ http://susono.jugem.jp/?cid=54

90歳でお元気な丘灯至夫さんでした。
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