このブログはNHKとは関係のない個人(私)が、NHK FMラジオで放送された「ラジオ深夜便」の一部の番組内容をメモとして残しておくことを目的としています。ほぼ毎日の内容を不定期に更新していきます。
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二宮尊徳 映画館色つき
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1:00~2:00 民話を語ろう
アンカー 榊寿之さん インタビュー:斎藤季夫さん

藤巻愛子 塩山市(今は合併して甲州市)出身。夫(同じく山梨出身)の仕事で千葉県佐倉市住み、30代後半から子供達に甲府弁で物語を語っていた。夫の定年を機に塩山に戻る。

 ♪演目♪
1.たのえもん
昔、おっかさんとたのえもんの二人が住んでおった。たのえもんは役者をしていた。あるとき、峠を越えた村に芝居でよばれていたところ、おっかあの具合が急に悪くなったので、急いで帰ることにした。途中で夜になって、峠に差し掛かると大きな「うわばみ」が出た。うわばみが「お前の名はなんと言う」とたのえもんに聞いた。たのえもんは怖くて舌が回らず「たのたのたの」と答えた。うわばみは狸と答えたものと勘違いして、「狸かならほかにも化けてみろ」といってきた。たのえもんは役者箱からお面や衣装をつけて、狐やお姫様にばけた。気を許したうわばみは、身の上話をした。うわばみはたばこのヤニがきらい、と言いった。たぬきお前の苦手は何だと問うたので、「おら小判がにがて」と答えた。二人はこのことを誰にも言わないように約束した。
 翌朝峠を越えて帰り着いた。村人に、うわばみのにがてはヤニだから、それを樽に集めてうわばみの穴になげいれた。うわばみは約束をやぶったとくやしがる。しかえしに、うわばみは小判をいっぱい集めてたのえもんの家の煙だしから投げ入れた。うわばみは恨みをはらして峠に帰っていった。うわばみはヤニに触れていたのでそこから病気になって死んでしまった。

斎藤アンカー 饅頭こわいとおなじですねぇ。言ってみるものですねぇ。

大菩薩峠には昭和の初期まで、無人交易所があったそうです。峠越えが大変だったので、峠の上で物々交換して労苦を軽減したのだそうです。最近は大菩薩峠の近くまで車で行けるそうです。

2.かちかち山
 むかしむかしあるところに、おじいやんとおばあやんがいた。あるとき、じいやんは山に麦の種をまきに行った。「一粒まけばせんたーら。二粒まけばまんたーら。」と蒔いていた。それをみていた狸が「一粒は一粒のまんま、二粒は二粒のまんま」と憎まれ口をついた。翌日、狸に畑をあらされた。
 じいやんはその狸を捕まえて、狸汁にしようと縄で縛って持ち帰った。ばあさんは狸汁に入れる粟餅を搗いていた。それを見ていた狸は手伝うからといい、縄を解いてもらった。すると狸は手伝うと見せかけて、ばあやんをきねでたたき殺した。狸はばあやんを料理して婆汁を作った。じいやんが帰ってきたので、ばあやんに化けた狸とじいやんは婆汁を食べた。食べ終わると、狸は戸口まで逃げて、「ながし(台所)の下には、はばの骨がてんこもり」と言って逃げてしまった。おじいはばばの骨を見て泣いていたら、ウサギが出てきておじいやんの話を聞いた。ウサギは憤慨して仇を取ろうと決意した。
 ウサギはタヌキをさそって山へ薪を取りに行った。薪の束を背負子で背負って山を降りる途中、ウサギはタヌキの薪に火打石でカチカチと火を点けようとした。カチカチと音がするのでタヌキは「ウサギ、カチカチ音がするのは何だ?」と聞いた。ウサギは「この辺りはカチカチ山だからカチカチ音がするんだ」と答えた。暫くすると薪が燃え出してドンドンと音がするので、またタヌキが「ウサギ、ドンドン音がするのは何だ?」と聞いた。ウサギは「この辺はドンドン山だからドンドン音がするんだ」と答えた。タヌキの背中に火がついて、やけどを負ってしまった。翌日、タヌキを見舞ったウサギは、やけどに利くからと、タヌキの背中にからしみそを塗った。タヌキはやけどに沁みて沁みて苦しんだ。
 暫くして、ウサギはタヌキのところに来て、今年は湖に魚が多いから取りに行こうと誘った。ウサギは二つの舟を用意していた。ウサギは木の舟にのり、タヌキは、飾り立ててはいるが泥で出来た泥舟に乗った。沖に出るとタヌキの泥舟は沈みかけてきた。タヌキはウサギに助けを請うが、ウサギは「おじいやんにひどいことして、おばあやんにひどいことした。許さん」と言ってウサギは陸に帰ってしまった。タヌキは湖に沈んでしまった。

近くに、むかし動物たちの住むところを開墾した畑がある。そこにはよく動物がでる。
年寄りに話すと笑いが出る。高校生に話すと先生が心配する。藤巻さんは「若い人は昔話になれていないからかなぁ、自然の中で暮らす厳しさが少しでも子供達に伝わったら良いかなぁ」と感想を述べていました。


3.きつね女房
 昔あるところに貧乏な兄やんがいた。貧乏で嫁のきてが居なかった。あるとき嫁にしてくれと女の人がきた。よく働く嫁だった。そのうち男の子が生まれた。隣のおばさんがこっそり覗くと、その嫁の服の下から尻尾が出ていた。おばさん「狐だ、狐だ」と大声で叫んだ。見つかってはここには居られないと、その狐は唐紙に
 恋しくば 尋ねてくりょうし 篠田の森へ  篠田の白狐
と書いて山へ帰っていった。
 夕方、兄やんが帰ってきて、嫁が居ないことに気づく。兄やんは、泣く赤ん坊を連れて裏山に行き、「坊のおっかあ」と呼びかけた。すると嫁の姿になった狐が出てきて赤ん坊に乳を与えた。赤ん坊が泣くたびに山に連れて行き、狐の嫁から乳を貰った。そのうち、田植えの時期になった。兄やんは赤ん坊が居るので田植えが出来ないままだった。ある朝早く遠くから「こあるなかだよ(子ある仲だよ)つつぽにみのれ(役人に見つからないように、茎の中に実れ)」と田植え歌が聞こえてきた。兄やんが外に出てみると自分の田がすべて青田になって田植えが終わっていた。向こうのほうを早乙女姿の大勢の狐がその田植え歌を歌いながら帰っていくところだった。
 それから、兄やんの田んぼは水が涸れることもなく、雑草も生えず、秋になった。年貢を取り立てる頃になっても兄やんの田んぼには穂が無かったので、年貢は取られなかった。それでも兄やんは稲を刈り取って家に持ち帰った。不思議なことに、穂先にあたるところを裂いたら、そこから白い米がぽろぽろといくらでも取れた。それで、赤ん坊と兄やんは暮らしに困ることは無くなり、安楽に暮らしたとのことだ。

藤巻さんによると、狐は昔は身近な動物だったそうです。農作業の途中でしばしば見かけたそうです。

すべて甲府弁で語られました。正確にはわからないところも少しありました。言葉のリズムと語る声が明るく暖かい方でした。

藤巻愛子さんの昔話は、民話の語り手としてCDに収録されており、一般的な市場から購入することが出来るようです。

次回は来週のこの時間に放送する予定だそうです。
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1:00~2:00 民話を語ろう
アンカー 加賀美幸子さん インタビュー:斎藤季夫さん

♪演目♪
1.欲深婆さまの後悔(アトク)やみ
 あるところにおしじとおはばがすんどった。おしじは雄鶏(おんどり)、おはば雌鳥(めんどり)をてんでに(各自が)飼っておった。おはばの雌鳥はたまごを産むので、おはばはそれを食べたが、おしじには分けてやらなんだ。おしじの雄鶏はたまごを産まないので、おしじは雄鶏を追い出した。置いてもらいたい一心の雄鶏は、落ちていた袋を持ち帰った。おしじが袋を開けてみると、中には金銀宝物が入っていた。おしじはその宝を売ってたまごやすきなものを買っていた。それをみたおはばは、けなるてけなるて(うらやましくて)宝をわけて欲しいとおしじに頼んだが、おしじは「あの時たまごわけてくれなかったじゃないか」と言って、おはばには分けてくれなかった。
 あまっとるときは他の人に分けてやらにゃいかんという話じゃ。

注:けなるて=けなるい=うらやましい
 
2.天狗さんの話
 むかしは大きな杉の木があった。天狗にさらわれた話が良くあった。昔、要蔵(ようぞう)という子供がいた。要蔵は言うことを聞かない子だった。ある日、要蔵は遊びほうけて夜になってもかえってこない。天狗にさらわれたと思って村中の人が探し回った。一升ますの底をぬいてたたいて大きな音を立ててさがしたが、見つからなかった。一週間過ぎた日、家の裏で大きな音がして要蔵がかえってきた。要蔵は天狗にさらわれていたという。村の人が一升ますたたいてさがしまわったので、天狗は怒って要蔵をかえしたそうな。これをきいてむらのこどもは親の言うことをきくようになったということだ。

自慢こくなや 三本杉ゃ近い 鼻の高い人ぁ見てござる -昔年寄りたちが子供達に言い聞かせていた

3.舟橋の七化けムジナ
 神通川に64艘のふねをつないで板を載せて橋にしていた。ゆみなりに川下へまがっていた。女子供はあぶなくて男衆が居ないと渡れなかったくらいだ。夜がふけると、大入道やら火の玉やら、いろんなものに化けるムジナやら出るので夜は渡らなかったものだった。昔、目の見えない与一という若者がいた。あるとき、母親が死にそうなので、夜中に急いで舟橋を渡って帰らなくてはならなくなった。近くにいた人は夜が明けてから渡りなさいといったが、与一はかまわず渡っていった。一つ目小僧や鬼、人魂が出たが与一は(眼が見えないので)気にせずどんどんすすんでいった。もうすぐわたりおわるところでナナ化けムジナが若いお女郎に化けてとうせんぼうした。与一は棒でたたくと、お女郎は消えて橋を渡り終え、母親の元へ帰った。翌日、村人が舟橋へいくと大きなムジナが死んでおったということだ。

注:舟橋とは川を横切るために橋をかけるのでなく、舟を横に並べつないで対岸へわたるようにしたもの

4.穴のあいた袋
 昔、山奥の家で、おっかさんが死んで新しいおっかさんがきた。新しいおっかさんに娘が出来ると、まえのおっかさんの娘につめたくあたった。あるとき、新しいおっかさんはふたりの娘に栗を拾いにいくようにいった。姉娘には穴のあいた袋を渡し、妹娘には穴のあいていない袋をわたした。姉娘は栗をあつめたが穴からこぼれてなかなか集められない。そのうち、亡くなったおっかさんの墓のところにくると、死んだおっかさんがでてきて袋の穴を縫ってくれて集まるようになった。また、欲しいものが出てくる瓶をくれた。
 あるときお殿様の行列が通るというので、新しいおっかさんは妹娘を着飾らさせて見に行った。姉娘には「灰で縄なえ、ざるで水汲め、ふろわかせ」と言いつけた。二人が出てゆくと、姉娘は瓶から晴れ着をだして殿様を見に行った。何日かして殿様がその家に来て「お前の家の娘を嫁にもらいたい」という。母親は妹娘には着飾らせて、姉娘には顔にスミをつけてまっていた。殿様が来ると姉娘をみて「嫁にするのはこの娘」といって姉娘は殿様の嫁になった。

斎藤アンカーは「富山のシンデレラものがたりですねぇ」と感想を漏らしていました。


藤田まことさんの「夜のララバイ」が今月いっぱい午前1時代に、CD用に録音しなおした音源で放送されるそうです。
1:00~2:00 民話を語ろう
アンカー 榊寿之さん  インタビュアー 斎藤季夫

♪演目♪
1.愛本のちまき
 黒部川は洪水を起こすので大蛇に例えられていました。
黒部川が山から平野に出たところは愛本と呼ばれていました。そこの茶屋におみつという若い美しい娘がいました。川の精である大蛇が、若者に化けておみつに懸想しました。おみつはその若者といなくなってしまい、3年経った頃、おみつが子供を産みに帰ってきました。おみつが産屋で生む所を母親がのぞくと、おみつは大蛇になっていました。子を産んで産屋から出てくるとおみつは人になっていたが、見られたからには今生のわかれ、と言って、おみつはかたみに粽の作り方を教えました。その粽はいつまでたっても腐らないのでした。村人達はおみつの為に愛本神社をつくりました。

愛本神社はいちさな神社だが、近年そのおまつり(6/21)は盛んになっているそうです。
斎藤アンカーは、高木さんの姿を説明しするために、宝塚の男役のようですねと例えていました。高木さんは75歳(昭和6年生まれ)だそうです。50を過ぎて演劇教室に入ったところ、民話の独演語りをやったそうです。そのままだともったいないので図書館などで子供達に聞いてもらったことが民話との出会いだそうです。

2.あとかくしの雪
 むかし足の悪いばあ様がいた。ある夜のこと、年寄りの坊様が泊めてくれとたずねてきた。食べ物や布団が無くてもよいからというので、泊めてあげた。ばあ様はそれでもなにか食べさせようと、田んぼの裏の他人のうちの大根とあずきがあったので、それをこさえて食べさせた。雪の日なので、ばあ様の足跡がついているのではないかと心配したが、よなかに雪が降って足跡が消えていた。村人にそれとなく知られたが、坊様のちからで之を降らせたと思われてこの時期12月23日には小豆かゆをつくるようになった。

3.ニカ福長者
 ニカとは籾殻(もみがら)のことを言う。広野の里に貧しい家があった。母親と娘の二人暮しで、正直な母親であった。ある年の秋の夕暮れ、坊様が泊めてくれとたずねてきた。食べ物が無いので泊められないと断るが、暗くなってきたので気の毒になり泊めてさしあげた。食べ物が無いかとニカ(籾殻)のなかに米が残ってないか探したところ、くず米がとれたのでだんごにして坊様に食べさせた。翌朝、坊様が起きてきて「ニカ殻を臼に入れてみてごらん、おこめになるから」といって出て行った。やってみると米がでてきた。そんなわけで、その家はお金持ちになった。蔵がいくつもたった。そのうち、人の心は変わるもので、その母親はおごり高ぶるようになった。その娘はお殿様の嫁になった。むすめが里帰りするときにその道に黄金の橋をかけた。娘が帰ってきた後、蔵のニカ殻に手をつっこむと軽く感じた。米がすべてニカ殻になってしまった。そしてあっというまにニカ福長者のいえは滅びて塚がのこった。 


呼ばれると語りに行く。小学校のふるさと学習で語りに言った。興味をもって聴いてくれた。高校の放送部から民話について取材に来たこともあった。

斎藤アンカーはそのかたりについて「分かりやすくて方言が含まれていないですねぇ」と言っていました。子供達には昔の言葉を語りの合間に解説すると良く分かったようです。
愛本の川の縁で語ったこともあるそうです。現場だとおもいもふかくなりますねぇ、とのことです。

次回の 「民話を語ろう」富山県(2)は 11月12日(日) です。

深夜便の歌「夜のララバイ」は好評だったため、11月22日ににCD発売されることになったそうです。CD用に再録音されたとのこと。藤田まことさんの言葉が語りかけてくるように、さらにスローなテンポで歌われています。
1:00~2:00 民話を語ろう
アンカー 榊寿之さん

♪演目♪   聞き手 斎藤季夫アンカー
1.「湯に入った木像」 語り 斎藤孝
 別所には、昔、長楽寺・常楽寺・安楽寺という、三ツのお寺がありました。このうちの安楽寺には、日本に一つしかない八角三重塔があります。この塔の建てられたころ、樵谷惟仙(しょうこくいせん)禅師と幼牛恵仁(ようぎゅうえにん)禅師という方がいました。この二人の禅師の木像が、安楽寺にあり、次のような伝説があります。
 それは六百年も前のこと、まだ別所には、七つの共同浴場だけしかありませんでした。北向観音堂の前の通りにあった〝久我湯〟という湯で毎晩おそくなってから、老人らしい声が聞こえます。「この夜ふけに誰がお湯に入っているかなあ」と思い、こっそりのぞいて見ても誰もいません。しばらくするとまた、話し声が聞こえてきます。とても不思議だということで、評判になりました。ちょうどそのころ、夜中すぎに安楽寺へ行ったり来たりする人の足音がするという噂が立ちました。きっと、お化けがお湯に行くのかも知れないと、大さわぎになりました。いろいろ調べて見たところ、安楽寺に安置してあるニ人の禅師の木像が怪しいということになりました。さあそれからが大変です。
 「お木像様とわかればそのままにしておいて上げたい」
 「いや、こんなことは、絶対やめて頂くべきだ」
何日も何日も相談のすえ、木像の“目玉”を技いてとっておくことになりました。すると、真夜中の入浴はやみました。
 それから久我湯は〝禅師湯″と呼ばれるようになりました。いまは久我湯はなくなっています。なお抜きとられた目玉は、昭和の初期に再びはめこまれたそうです。
 
2.「柳沢の金焼地蔵」 語り 中村安子
 むかし塩田の五箇村に、田畑を沢山持っている市ザ衛門という百姓がおった。田畑が広いので、市ザ衛門は7人の男を雇っていた。屋敷には使用人として、おきわさんという美しい娘が働いていた。年は18、心の優しい娘だった。おきわさんは、雇われて田んぼに出ている男衆におひるの弁当を毎日届けていた。
 おきわさんは、柳沢のお地蔵さんを深く信じていた。そういうわけで、お地蔵さんに少しお弁当をそなえてから若い衆に持っていくのであった。男衆のになかには、お地蔵さんの前でおきわさんがおべんとうをつまみ食いしているのではないかと疑うものがあった。その男は、地蔵の後ろにかくれて、「おまえは弁当をつまみ食いしているだろう」と言って、お地蔵さんに弁当をそなえにきたおきわさんの額にやけ火箸をおしつけた。おきわさんは悲鳴をあげて市ザ衛門の屋敷へ帰っていった。少しやりすぎたかなと思った男衆は、後で心配になって市ザ衛門の屋敷へ行って見ると、おきわさんはいつものように笑顔で元気に働いていた。その美しい顔には焼け火箸の跡も何にもなかった。ところが、翌日男衆が働きに出て、途中にある柳沢のお地蔵さんの前を通りかかって、お地蔵さんをみると、その額にやけ火箸の跡がくっきりついていた。男衆は驚くばかりだった。その後、男衆はおきわさんとお地蔵さんを大切に敬ったということだ。
 今でも実際に柳沢の金焼き地蔵があるそうです。仏教説話の中にある身代わり地蔵のはなしの一つです。

3.「十三年目」 語り 稲垣勇一
 むかし真田の里に、百姓の当平が一人息子と暮らしておった。当平の家はもとは大百姓であったが、”金持ち三代続かず”の例えとおり、当平の代で貧乏になって、この秋に結婚をする一人息子の田平の婚礼の費用もないありさまだった。屋敷だけは広かったので、毎年、六部が当平の屋敷に泊まって、お札を売ったり、占いなどをして村人から幾ばくかの金を得ていた。当平は、六部が明日は家を去ると言う日に酒を振舞い、酔った六部の頭をナタでぶち割って殺した。息子の田平は止めたが無駄だった。死体は山の中に埋めた。
 当平は、六部の残した金で、秋の婚礼を盛大に行った。息子の嫁はしのといった。その冬、しのが外便所に行く途中で、殺された六部の幽霊を見た。次の年の夏、しのは男の子を産んだ。佐助と名づけられた。大きくなった孫の佐助と当平は、あるとき山に行った。帰り道の夕方、佐助は六部を埋めた藪を見つめていた。佐助が十二になった夏の日、佐助は二階に上がったまま降りてこない。しのが二階に上がってみると、暗い部屋で佐助はナタを研いでいた。しのは畑から帰った当平に佐助の様子を話した。当平が二階の上がり口まで行くと、佐助はゆっくり降りてきて、当平を鉈で殺してしまった。佐助は薄気味悪くにやりと笑い、「これで十三年目の恨み晴らした」と言った。佐助は死刑にされ、遺体は村はずれの峠近くに埋められ、たたりを恐れて大きな石を乗せられた。父親の田平は、毎月佐助の命日になるとその大石を抱いて泣いたそうな。田平は85まで長生きした。嫁のしのは早くに実家に帰され、その後はよくわからないということだ。


塩田平民話研究所の紹介 のサイトはこちら→http://www.geocities.jp/minwaken/shokai.htm

10月2日の深夜便は、FM放送設備点検のため東京都区内では放送されませんでした。したがって、10/2の当ブログの記事はお休みです。
1:00~2:00 民話を語ろう
  アンカー 榊 寿之さん

解説  大島広志さん 國學院大學講師。
語り  菊池栄子さん 遠野市在住
聞き手 斎藤季夫アンカー

 ♪演目♪
1.おしらさま
 ある夫婦の間に美しい娘がおりました。その娘は馬が好きで、馬と夫婦になりたいという。父親は怒って、その馬を桑の木につるして、生きたまま皮を剥いでしまいます。それを見ていた娘は泣いて倒れてしまうと、馬の皮がその娘を包んで空へと連れて行きました。その娘が夢枕に立って、「庭のうすの中に小さな虫がいるので、馬をつるした桑の葉をやって育ててください」と告げます...。(おしらさまは元々蚕の神様で、時とともに様々なご利益のある神様になっています)

2.かっぱ淵
 ある若者が、馬を水辺に連れて行き水を飲ませたり、馬の体を洗っていると何かに驚いて厩に帰ってしまいます。みんなが驚いて厩の中を見ていると、水かきのある子供の手のようなものが見えます。それは河童でした...。(小生、四国の出身です。残念ながら東北弁のヒヤリングが不自由で、1/3ほどしか聞き取れませんでした。語りの中で、「ふね」という言葉が出てきますが、飼い葉おけのことだそうです。かっぱがそこに隠れていました。)

3.豆腐と蒟蒻
 豆腐が体調を崩し、医者に見てもらおうと歩いていると、蒟蒻に会います。蒟蒻は「医者に見てもらっても、薬を飲んでも、もとの豆には戻らないよ」と憎まれ口をいいます。豆腐は悔しがり、蒟蒻が調子を崩してお寺や神社にお参りしようとしてたときに、蒟蒻に向かって、「おまえは灰汁で固めた体じゃないか。もうどうにもならんよ。」と言い返しました。二人はよく考えてみると同じような境遇(豆や根を潰して灰汁やにがりで固める)だと気づき、今では仲良くお店の前に並んでいるということです。(もともと仲の良かった豆腐と蒟蒻のバージョンもあるそうです。)

4.いっぱの藁を十六ぱ
 長者が街道に立て札をたてました。「いっぱの藁を十六ぱにした者をうちの婿にする」と立て札にあります。もっさりとした貧乏な若者がいっぱの藁をつかんで長者の家に行きました。長者の家族が出てくると、若者はいっぱ(いちわ:1)のわらを庭(にわ:2)になげ、にわの隅には桑(くわ:9)があり、婆の顔には皺(しわ:4)があるとして十六ぱになったことを言いました。これを聞いた長者は若者を誉めて、その家の後継ぎとしました。

5.せやみ(なまけもの)
 なまけものの若者がいました。両親は心配して、旅にでも出たらもう少し何とかなると思い、握り飯を用意して旅に出させます。腹が減ってきたこの若者は握り飯を食べたいと思うのですが、取り出すのが面倒です。向こうから来る編み笠の男に、その握り飯を取り出してもらおうとしますが...。(上には上があるというお話でした。)

6.雪女(源流は小泉八雲で、遠野に伝わったもの)
 冬に親父と息子が山で小屋がけをして炭を焼いていました。二人が寝ていると雪の塊が小屋の中に入ってきました。それは雪女でした。息子がそれに気づいてみていると、雪女は親父の襟に息をかけて凍死させてしまいました。雪女は息子に気がつきましたが、このことは秘密にしろといって外に出て行きました。その息子が若者になって、親父と同様に炭焼きをしていました。ある日とても美しい女が来て、その若者と夫婦になり、子供が3人出来ました。ある日の吹雪の夜、親父が雪女に殺された日のことを自分の妻にしゃべってしまいます。すると妻はあの日の雪女に変わり、約束を破ったといってその家から出て行ってしまいます。


夏休みの間は、菊地さんほか語りの方はJR遠野駅から5分のところにある、遠野昔話村という所があります。そのの向かいにある遠野物産館の二階に「語り部ホール」で、一日5回、一回20分の昔語りを聞かせてくれるそうです。

遠野物産館などの施設のリンクは→ 遠野市観光協会--観光施設案内

遠野の場所リンク(マップル)は→ 遠野の見どころ情報:マップルネット 

来週のこの時間も遠野の民話を放送する予定。
1:00~2:00 民話を語ろう
 アンカー 加賀美幸子さん

酒井薫美(さかいただよし)さん
 元中学教師。教材として民話を採録した。島根大学教授をへて、出雲かんべの里館長

 ♪演目♪
1.いいもの食いたい楽したい(松江)
 あるところに9つくらいの男の子がおりました。”いいもの食いたい楽したい、人の持ち物みなほしい”と歌って歩いていると、太った男に出会います。その男についていくとある家に閉じ込められてしまいます。男の子はそこで毎日ご馳走を食べさせられてだんだん太ってきます。太らされて油を絞られることがわかり、逃げようとしますが...。
(これは怖いお話です。人の油を絞る話はほかにも聞いたことがありますが、生理的な恐怖を呼び覚まされます。オチもあるのでご心配なく。)

2.こぶ取りじいさん
 山へきこりに行ったこぶのあるおじいさんが、天狗といっしょに踊ってこぶをとってもらいます。その話を聞いた隣のおじいさんにもこぶがありました。そのおじいさんも天狗と一緒に踊ると、うまいというので、天狗からこぶをつっくけてもらいました。こぶが二つになったおじいさんは泣く泣く山から帰ってきました。
(どうも隣のおじいさんは、踊りが下手でもうまくても、こぶが二つになる宿命のようです。)

3.狐の変化玉
 あるお寺の小僧さんが、山に住む悪さをする狐をまんまと馬に縛り付けて捕まえて帰ります。狐は変化玉と取替えに開放してもらいます。小僧が留守のときに、狐の化けた庄屋さんがお寺に来て、和尚さんから変化玉を取り返します。再び小僧は又山へ行って...。
(かしこい小僧と、人のいい和尚と、ちょっと抜けた悪狐がでてきます。)

4.げえるぼた餅
 根性のわるい姑ばあさまがいました。ぼたもちをもらいましたが、急用で食べることができないので、そのぼた餅にまじないをかけました。「嫁が開けたらげえる(かえる)になれ。おれが開けたらぼた餅になれ」といってでかけました。それを聞いていた嫁は、姑の卑しさに腹を立てて、そのぼた餅を全部食べました。そのあとげえるを入れて...。
(ちょうど今日東京ビッグサイトで開催された国際ブックフェアにいったのですが、あるブースでこの話のバリエーションを津軽弁で聞きました。ぼた餅の代わりにお金でした。)

1:00~2:00 民話を語ろう
 アンカー 榊 寿之さん

酒井薫美(さかいただよし)さん
 元中学教師。教材として民話を採録した。島根大学教授をへて、出雲かんべの里館長

♪演目♪
1.狐の変化玉(隠岐の島)
 狐は変化玉で七つ化けることが出来る。お坊さんが狐の悪さを懲らしめようと、わしの変化玉は八つ化けることが出来ると言って狐の変化玉をまんまと取り上げます...。

2.蟹淵の主(隠岐の島 道後)
 きこりが淵に斧を落とします。すると淵の神様が現れて、「私に悪をなす蟹のつめを切ってくれて礼を言います」と言われ、そのお礼として...。

3.産神問答 うぶがみもんどう (奥出雲町)
 出産時には台所のいろいろな神様がお産を助けてくれ、生まれた子供の運命を授けます。その話をたまたま聞いた男が、自分の生まれてくる子供の運命を何とかしようとします...。

4.歳徳様の由来 としとこさまのゆらい (石見地方)
 歳徳様は片足の神様です。そのわけは...。
   歳徳様=お正月の神様


2番目の「蟹淵の主」のお話は夏の野外でたまたま採録したので、バックに蝉の鳴き声が入っていました。ライブ感いっぱいの話でした。
1:00~2:00 民話を語ろう
 アンカー 加々美幸子さん

♪演目♪
1.手白の猿
 (手の白い猿が温泉で赤ん坊のやけどの治療をします...。)
2.赤谷川のかっぱの薬
 (川漁のしかけにかかったかっぱからよく効く薬の作り方を教えてもらいます...。)
3.かえるの嫁さま
 (独り者の男にきれいな姉様がお嫁に来てくれます。その姉様はかえるでした...。)


90歳のおじいさんが、最近赤谷川でかっぱを見たそうです。インタビューの斎藤アンカーは相槌を打つのに多少困っていました。
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