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このブログはNHKとは関係のない個人(私)が、NHK FMラジオで放送された「ラジオ深夜便」の一部の番組内容をメモとして残しておくことを目的としています。ほぼ毎日の内容を不定期に更新していきます。
INDEX インデックス
二宮尊徳 映画館色つき

2007年01月の全記事一覧

1/31水 シャンソンへの誘い:エディット・ピアフ&ジュリエット・グレコ集
1/31水 思い出の流行歌:”別れ”の歌
1/30火 幼き日の歌:懐かしの童謡・唱歌集
1/29月 ジャズ・ボーカルの楽しみ:カーメン・マクレエ&サミー・デイビスJr(ジュニア)集
1/29月 昭和歌年鑑:昭和57年の流行歌
1/27土 思い出の流行歌 '60年代フォーク&ポップス集
1/27土 北のフォーク特集 北海道出身のフォークシンガー ふきのとう&中島みゆき
1/26金 郷愁の歌:ロシア民謡・愛唱歌集 
1/26金 作家で綴る流行歌:吉田矢健治(作曲)作品集
1/25木 ルーツ・オブ・J-Pop:ジャパニーズ・シティ・ポップス集
1/25木 シンガー・ソングライターの時代:中島みゆき集
1/24水 リラックス・サウンズ:アルフレッド・ハウゼ&マランド集
1/24水 歌謡スター・思い出のヒット:五木ひろし集
1/23火 思い出のポピュラー:'70年代ポップス・ヒット集
1/23火 懐かしの流行歌 昭和戦前期名作歌謡集
1/21日 ヴィンテージ・ポップス エルヴィス・プレスリー集
1/21日 作家で綴る流行歌 浜圭介(作曲)作品集
1/20土 ”真夜中の夢の競演”青木光一&山口百恵
1/20土 旧満州・葛根廟事件 命の証 葛根廟事件 生還者 大櫛戊辰
1/19金 ヴィンテージ・ロック ロッド・スチュワート集
1/19金 昭和歌年鑑 昭和43年の流行歌
1/18木 作家で綴る流行歌 西條八十(作詞)作品集(1)
1/17水 懐かしのジャズ、ポピュラー 男性ボーカル集
1/15月 エンジョイ・ジャズ サックスの名手たち
1/15月 思い出の歌謡スター 鶴田浩二集
1/14日 リラックス・サウンズ フュージョン・ミュージックの楽しみ
1/14日 幼き日の歌 野口雨情(作詞)作品集
1/13土 ”真夜中の夢の競演”吉田拓郎&森山良子
1/12金 思い出の歌謡スター 村田英雄集
1/11木 作家で綴る流行歌 弦哲也(作曲)集
2:00~3:00 ロマンチックコンサート
 アンカー 須磨佳津江さん

 ♪曲目♪
1.愛の賛歌(Hymne à l'amour)  エディット・ピアフ  作詞 エディット・ピアフ(Édith Piaf) 作曲 マルグリット・モノー(Marguerite Monnot) 1949年
2.ミロール(Milord)  エディット・ピアフ  作詞 ジョルジュ・ムスタキ(Georges Moustaki) 作曲 マルグリット・モノー(Marguerite Monnot) 1959年
3.ばら色の人生(La Vie En Rose)  エディット・ピアフ 作詞 エディット・ピアフ(Édith Piaf) 作曲 ピエール・ルイギー 1945年
4.あなたの目よりも青く(Plus bleru que tes yeux)  エディット・ピアフ  作詞・作曲 シャルル・アズナブール(Charles Aznavour) 1951年
5.アコーディオン弾き(L'accordeoniste)  エディット・ピアフ 作詞・作曲 ミッシェル・エメール(Michel Emer) 1939年

6.詩人の魂(L'Ame Des Poetes)  ジュリエット・グレコ 作詞・作曲 シャルル・トレネ(Charles Trenet) (1951年)
7.私は私(Je suis Comme Je suis)  ジュリエット・グレコ 作詞 ジャック・プレヴェール(Jacques Prevert) 作曲 ジョゼフ・コスマ(Joseph Kosma) 1951年
8.なんていい気分(Qu'on est bien)  ジュリエット・グレコ 作詞・作曲 ギイ・ベアール(Guy Béart)
9.あとには何もない(Il N' Y A Plus D'apres)  ジュリエット・グレコ 作詞・作曲 ギイ・ベアール(Guy Béart)
10.ジョリ・モーム(Jolie môme)   ジュリエット・グレコ 作詞・作曲 レオ・フェレ(Leo Ferre)


エディット・ピアフ(Édith Piaf, 1915年12月19日生まれ - 1963年10月11日没)は、フランスのシャンソン歌手。

ジュリエット・グレコ(Juliette Greco 1927年2月7日生まれ)フランス南部の地中海に面した町、モンペリエ生まれ。フランスの女優、シャンソン歌手。1967年頃から歌手に専念し、1984年にはフランス政府からレジョン・ドヌール勲章シュバリエを授与。2003年にはフランス政府からレジョン・ドヌール勲章オフィシエを授与と現在でも精力的に活躍中。
ジュリエット・グレコさんにインタビューした記事がありました。こちら→
http://www.jp.sonystyle.com/Style-b/Yo-yo-yo/Diary/2004/1119.html
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3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 須磨佳津江さん

 ♪曲目♪
1.別れの一本杉  春日八郎 作詞 高野公男 作曲 船村徹 昭和30年
2.粋な別れ  石原裕次郎 作詞・作曲 浜口庫之助 昭和42年
3.星影のワルツ  千昌夫 作詞 白鳥園枝 作曲 遠藤実 昭和41年
4.なごり雪  かぐやひめ 作詞・作曲 伊勢正三 昭和49年
5.いちご白書をもう一度  バンバン 作詞・作曲 荒井由実 昭和50年

6.五番街のマリーへ  ペドロ&カプリシャス 作詞 阿久悠 作曲 都倉俊一 昭和48年
7.恋人よ  五輪真弓 作詞・作曲 五輪真弓 昭和55年
8.喝采  ちあきなおみ  作詞 吉田旺 作曲 中村泰士 昭和47年

深夜便の歌
  冬の旅  倍賞千恵子 作詞 五木寛之 作曲 小六禮次郎


4曲目の「なごり雪」を須磨アンカーは、若いカップルの翌日又会えるような短い別れ、と解説していましたが、歌詞の中に「東京で見る雪はこれが最後ね、とさみしそうに君がつぶやく」とあるように、大学生のカップルが卒業と共に離れ離れになる状況を示しています。そういえば、この冬は暖冬で、東京の山手線のエリアではまだ降雪がありません。大学卒業と共に別れることになるカップル達のためにも、一度は雪が降って欲しいものです。

8曲目の「喝采」は発売当時の音源ではなく、ストリングスなどのアレンジが少し変わっており、その後に再度レコーディングしたときのもののようです。
3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 遠藤ふき子さん

 ♪曲目♪
1.冬の星座  コール・フロイント 作詞 堀内敬三 作曲 ヘイズ (昭和22年)
2.たきび  ひばり児童合唱団 作詞 巽聖歌(たつみ せいか)作曲 渡辺茂 (昭和16年)
3.スキー  西六郷少年少女合唱団 作詞 時雨音羽 作曲 平井康三郎 (昭和17年)
4.灯台守  東京荒川少年少女合唱隊 作詞 勝承夫(かつ よしお) イギリス民謡 (昭和24年)
5.冬景色  杉並児童合唱団 文部省唱歌 (大正2年)

6.かあさんの歌  芹洋子 作詞・作曲 窪田聡 (昭和31年)
7.りんごのひとりごと  河村順子(河村光陽さんの娘) 作詞 武内俊子 作曲 河村光陽 (昭和15年)
8.うれしいひなまつり  大和田りつこ 作詞 サトウハチロー 作曲 河村光陽 (昭和11年)
9.うぐいす  クラウン少年少女合唱団 作詞 林柳波 作曲 井上武士 (昭和16年)
10.どこかで春が  クラウン少女合唱団 作詞 百田宗治(ももた そうじ) 作曲 草川信 (大正12年)

11.春よ来い  東京荒川少年少女合唱隊 作詞 相馬御風 作曲 弘田龍太郎 (大正12年)
12.早春賦  NHK東京放送合唱団 作詞 吉丸一昌 作曲 中田章 (大正2年)

深夜便の歌
  冬の旅  倍賞千恵子 作詞 五木寛之 作曲 小六禮次郎 (途中まで)



4曲目の「灯台守」は明治22年、大和田建樹がイギリス民謡に「旅泊」と言う題名で作詞しましたが、戦後、勝 承夫が「灯台守」の題名で再度作詞して唱歌に取り上げられました。

5曲目の「冬景色」は、かつての日本の風景を描いています。1番が水辺の朝、2番が田園の昼、3番が夕べの里と、それぞれを漢文調で格調たかく歌っています。

6曲目の「かあさんの歌」については、当ブログの過去の記事を参照ください。こちら→http://radioshinyabin.blog71.fc2.com/blog-entry-153.html

リスーナーからのお便りで、子供の時に岡山県にお住まいの方で、「自分の父が岡山で夏目漱石の書生をしていたというのだが、はっきりとしないので知っていたら教えて欲しい」という内容が読まれました。夏目漱石は明治25年、漱石25歳のときに岡山に数ヶ月滞在していたそうです。そのときに「生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉」と詠んだ句碑があるそうです。その時に夏目漱石の書生をしていたということになります。

小生の時代には今日放送された歌は家庭で学校で歌われました。あんまり懐かしいので、出だしの歌詞を書いてみます。
 冬の星座  木枯らし 途絶えて 冴ゆる空より
 たきび  かきねの かきねの まがりかど たきびたきび
 スキー  山はしろがね 朝日をあびて すべるスキー
 灯台守  凍れる月影空に冴えて 真冬の荒波寄する小島
 冬景色  さ霧消ゆる湊江の舟に白し朝の霜
 かあさんの歌  かあさんが よなべをして 手袋あんでくれた
 りんごのひとりごと  私は真っ赤な りんごです お国は寒い 北の国
 うれしいひなまつり  あかりをつけましょ ぼんぼりに
 うぐいす  うめの小枝で うぐいすは春が来たよと うたいま
 どこかで春が  どこかで春が 生まれてる どこかで水が 流れ出す
 春よ来い  春よ来い 早く来いあるきはじめた みいちゃんが
 早春賦  春は名のみの風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど

ということで、今回は、冬の終わり、早春を思わせる童謡・唱歌の歌をまとめて放送されました。
2:00~3:00 ロマンチックコンサート
 アンカー 明石勇さん

 ♪曲目♪
1.ラバー・マン  カーメン・マクレエ 1969年
2.エンジェル・アイズ  カーメン・マクレエ 1958年
3.ドリーム・オブ・ライフ  カーメン・マクレエ 1957年
4.サムシング・トゥ・リヴ・フォー  カーメン・マクレエ 1955年
5.ミッドナイト・サン  カーメン・マクレエ 1955年

6.二人でお茶を  カーメン・マクレエ、サミー・デーヴィスJr
7.ファイン・ロマンス  カーメン・マクレエ、サミー・デーヴィスJr
8.チーク・トゥー・チーク  カーメン・マクレエ、サミー・デーヴィスJr
9.ラッシュ・ライフ  サミー・デーヴィスJr
10.愚かな私  サミー・デーヴィスJr

11.アイヴ・ガッタ・ビー・ミー  サミー・デーヴィスJr


サミー・デイヴィスJr. (Sammy Davis Jr. 1925年12月8日生 - 1990年5月16日没)は、アメリカの歌手、俳優、エンターテイナー。

カーメン・マクレエ (Carmen McRae 1920年4月8日生まれ - 1994年11月10日没) は、アメリカのジャズシンガー。
3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 明石勇さん

 ♪曲目♪
1.少女A  中森明菜 作詞 売野雅勇(うりの まさお) 作曲 芹澤廣明 昭和57年
2.リバーサイドホテル  井上陽水 作詞・作曲 井上陽水 昭和57年
3.悲しい色やね  上田正樹 作詞 康珍化(かん ちんふぁ) 作詞 林哲司 昭和57年
4.北酒場  細川たかし 作詞 なかにし礼 作曲 中村泰士 昭和57年
5.待つわ  あみん 作詞・作曲 岡村孝子 昭和57年

6.セーラー服と機関銃  薬師丸ひろ子 作詞 来生えつこ 作曲 来生たかお 昭和56年12月
7.夢の途中  来生たかお 作詞 来生えつこ 作曲 来生たかお 昭和56年11月
8.聖母たちのララバイ(まどんなたちのららばい)  岩崎宏美 作詞 山川啓介 作曲 John Scott 昭和57年(途中まで)

深夜便の歌
  恋 はるか  南こうせつ 作詞 喜多條忠 作曲 南こうせつ (途中まで)


明石アンカーは昭和57年当時、日航機が羽田沖で着陸時に逆噴射で墜落したときの様子を現場から中継したそうです。そういえば、この話題は前にも明石アンカーがだいぶ前の深夜便の中で話したことがありました。
この年の出来事は、ホテルニュージャバンの火災、フォークランド紛争、CD(コンパクトディスク)の発売、エアロビクス・ゲートボールがブーム、などです。

6曲目の「セーラー服と機関銃」は同名の角川映画の封切りにあわせて昭和51年の12月に発売になりました。また、その年の11月には作曲者の来生たかおさんが先行して7曲目に放送された「夢の途中」を発売しています。ヒットしたのは翌年の昭和57年ということになります。小生、二つの同じ(ような)曲にちょっとした違いがあるのを見つけました。これらの二つの曲は作詞作曲は同じで、アレンジもほぼ同じですが、一番の歌詞が少し違います。違った個所は下のとおりです。
 さよならは別れの言葉じゃなくて
 再び逢うまでの遠い約束
 夢のいた場所に未練残しても/現在(いま)を嘆いても胸を痛めても
 心寒いだけさ/ほんの夢の途中
 このまま何時間でも抱いていたいけど
 ただこのまま冷たい頬をあたためたいけど
上の部分で、/より左が「セーラー服と機関銃」で、/より右が「夢の途中」の歌詞になります。

8曲目の「聖母たちのララバイ」は、日本テレビ『火曜サスペンス劇場』主題歌でした。その年の紅白歌合戦に岩崎宏美さんはこの曲で出演しました。小生、そのときの司会者が「岩崎宏美さんがNHKでこの歌を歌うのは初めてです」と紹介していたことを覚えています。他局の番組のテーマソングですから、当時のNHKとしてはいくらヒットしていてもめったに放送できなかったのでしょう。この曲は今回は残念ながら放送時間の関係で途中でフェイドアウトされ、全部は放送されませんでした。
3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 加賀美幸子さん

 ♪曲目♪
1.  はしだのりひことシューベルツ 作詞 北山修 作曲 はしだのりひこ 昭和44年
2.空に星があるように  荒木一郎 作詞・作曲 荒木一郎 昭和41年
3.旅人よ  加山雄三 作詞 岩谷時子 作曲 弾厚作 昭和41年
4.北国の青い空  奥村チヨ 作詞 橋本淳 作曲 B.Bogle N.Edwards M.Taylor D.Wilson 昭和42年
5.真夜中のギター  千賀かほる 作詞 吉岡治 作曲 河村利夫 昭和44年

6.花と小父さん   伊東きよ子 作詞・作曲 浜口庫之助  昭和42年
7.この手のひらに愛を  ザ・サベージ 作詞・作曲 利根常昭 昭和41年
8.今日も夢見る  万里村れいとザ・タイム・セラーズ 作詞・作曲 川本優子
9.ミドリーヌ  ビリー・バンバン 作詞・作曲 菅原進 昭和44年
10.青年は荒野をめざす  ザ・フォーク・クルセイダーズ 作詞 五木寛之 作曲 加藤和彦 昭和43年

深夜便の歌
  恋 はるか  南こうせつ 作詞 喜多條忠 作曲 南こうせつ


4曲目の「北国の青い空」を作曲した B.Bogle N.Edwards M.Taylor D.Wilson はベンチャーズの面々です。

10曲目の「青年は荒野をめざす」は小生が調べたところによると、五木寛之氏による同名の小説が昭和42年3月から10月にかけて『平凡パンチ』発表され、当時の青少年に大きな影響を与えたそうです。その後ハードカバーとして出版され、文藝春秋の大ロングセラーとなりました。フォーク・クルセイダーズがその小説に敬意を表して同名の「青年は荒野をめざす」という歌を作曲したのだそうです。
3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 市川泰(いちかわ やすし)さん

 ♪曲目♪
1.白い冬  ふきのとう  作詞 工藤忠明 作曲 山木康世 昭和49年
2.やさしさとして想い出として  ふきのとう 作詞・作曲 山木康世 昭和55年
3.影法師  ふきのとう 作詞・作曲 山木康世 昭和53年
4.風来坊  ふきのとう 作詞・作曲 山木康世 昭和52年
5.家路  ふきのとう 作詞・作曲 細坪基佳 昭和57年

6.時代  中島みゆき 作詞・作曲 中島みゆき 昭和50年
7.傷ついた翼  中島みゆき 作詞・作曲 中島みゆき 昭和50年
8.この空を飛べたら  加藤登紀子 作詞・作曲 中島みゆき 昭和53年
9.永遠の嘘をついてくれ  吉田拓郎 作詞・作曲 中島みゆき 1995年(平成7年)
10.ヘッドライト・テールライト  中島みゆき 作詞・作曲 中島みゆき 2000年(平成12年)

深夜便の歌
  恋 はるか  南こうせつ 作詞 喜多條忠 作曲 南こうせつ


ふきのとう 昭和49年デビュー 北海学園大学にて結成される。メンバーは山木康世(やまき やすよ)と細坪基佳(ほそつぼ もとよし)。男性2人のフォークグループ。以前ラジオ深夜便で「ふきのとう」の特集が放送されました。そのときの当ブログの記事はこちら。→ 8/19土  ”真夜中の夢の競演” ふきのとう & ハイ・ファイ・セット

中島みゆき 昭和50年デビュー。中島みゆきさんの特集は先日このラジオ深夜便で放送されました。そのときの当ブログの記事はこちら。→ 1/25木 シンガー・ソングライターの時代:中島みゆき集
2:00~3:00 ロマンチックコンサート
 アンカー 斎藤季夫さん

 ♪曲目♪
1.トロイカ(Tройка)  ロイヤルナイツ
2.ともしび(Огонёк)  ボニー・ジャックス
3.ウラルのグミの木(Уральская рябинушка)   合唱団しらかば
4.赤いサラファン(Красный сарафан)  中沢桂
5.川岸のベンチで  ボーチェ・アンジェリカ

6.カリンカ(Калинка)  ダーク・ダックス
7.ボルガの舟歌(Эй ухнем)  宮原卓也、東京混成合唱団
8.囚人の歌  勝部太(かつべふとる)
9.エルベ河(Встреча на Эльбе)  平山孝蔵、東京混声合唱団
10.仕事の歌(Дубинушка)  ダーク・ダックス

11.ポーレシュカ・ポーレ(Полюшко-поле)  ボニー・ジャックス
12.バイカル湖のほとり  ロイヤルナイツ


1曲目の「トロイカ」は3頭立ての馬車のことで、だそうです。斎藤アンカーの解説によると、元のロシヤ語の詞では、貧乏なトロイカの御者が、お金が無いばっかりに金持ちに恋人を取られるという悲しいお話なんだそうです。最初に日本語の詞をつけた人が別の曲と間違えたのだそうです。

2曲目の「ともしび」は小生が調べたら、「ともしび」の名前はロシヤ語で「Огонёк(アガニョーク)」で、かつてのソビエト共産党の機関誌の名前に使われていました。

3曲目の「ウラルのグミの木」は斎藤アンカーの解説によると、一人の娘が二人の若者に求愛されてどうしたらよいかグミの木に相談するという歌だそうです。ロシヤ語の原題では「ウラルのナナカマド」なんだそうです。小生のつたないロシア語で読むと「ウラルスカヤ リャビヌシュカ」です。

4曲目の「赤いサラファン」をの内容を斎藤アンカーが解説しました。農家で結婚のときに使うサラファン(袖なしの長いドレスで婚礼の晴れ着)を母親が縫っていると、娘がまだ早いわよとはなしかけます。すると母親がいつまでも若くは無いんだよと答えます。庭先での母と娘の会話が目に浮かんできます。ちなみに、小生が調べたところ、ロシア語でクラースニィ(Красный)の意味は「赤い」のほかに「美しい」という意味もあります。おそらく、母親が縫っているのは美しいサラファンなんだと思います。たいていは赤い色を多用していますが。また、モスクワの「赤の広場」は意味的には「美しい広場」の方がしっくりきます。実際、行ってみましたが、そこには赤いところなんてありませんでした。

5曲目の「川岸のベンチで」と8曲目の「囚人の歌」と12曲目の「バイカル湖のほとり」は、小生が調べましたが、ロシヤ語の原題は分かりませんでした。

6曲目の「カリンカ」は斎藤アンカーによると、カリーナという花のことで、結婚式で列席した人たちが踊るときに歌う歌だそうです。

7曲目の「ボルガの舟歌」は小生が調べたところ、ロシア語の原題では歌詞の最初の掛け声(Эй ухнем:エイ ウフニム)がそのまま題名になっているようです。

9曲目の「エルベ河」は映画「エルベの邂逅」の主題歌だそうです。その映画は、第二次世界大戦で米英の軍隊が西から、ソビエト軍が東からナチスドイツを攻撃し、エルベ河で出会うという筋立てだそうです。

11曲目の「ポーレシュカ・ポーレ」は「愛する野原よ」という意味だそうです。ロシア革命直後の革命軍と反革命軍の内戦のときに歌われたそうです。なるほど軍歌っぽいです。小生のカタカナロシア語発音では「ポーリュシカ ポーレ」が原音に近いと思います。日本語は子音を分離して表記できないのでちょっと不便ですねぇ。

12曲目の「バイカル湖のほとり」は、斎藤アンカーの解説によると、日本で1948年(昭和23年)封切られた映画「シベリア物語」の挿入歌です。「底から響いてくるような、ばらばらでいてまとまってくる野太い男達の声が印象的でした」とのことです。

小生、歌声喫茶の世代よりは若いので、ロシヤ民謡といえばあの赤軍合唱団の(座っていられないほどの)ものすごい重厚なコーラスを聞いて、どぎもを抜かれたのが最初の出会いです。

ロシヤといえば、はるか昔に「石の花」なんてソビエト映画を見た記憶があります。石工が主人公の昔話でした。

エリツィンがロシヤ大統領になった直後頃、夏に観光でモスクワへ行ったことがありました。宿泊しているホテルの周辺のアパートメントの中庭を歩いていると、地元の人(ロシヤは多民族なのでモンゴル、北部アジア系も多い)かと思われて何度か道を尋ねられたのには参りました。「ツーリスト」(Touristは語源がヨーロッパ大陸なので通じる)と答えると、ロシヤのオヤジは手を振ってうなずいて行ってしまいました。

今回は小生の「昔取った第二外国語(ロシヤ語)」の復習におつきあい頂きました。失礼しました。間違いがありましたら教えていただけるとうれしいです。
3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 斎藤季夫さん

 ♪曲目♪
1.街の灯台  春日八郎 作詞 高橋掬太郎 作曲 吉田矢健治 昭和28年
2.月夜の笛  津村謙 作詞 横井 弘 作曲 吉田矢健治 昭和30年
3.あなたと共に  津村謙、吉岡妙子 作詞 矢野亮 作曲 吉田矢健治 昭和29年
4.お花ちゃん  三橋美智也、斉藤京子 作詞 矢野亮 作曲 吉田矢健治 昭和31年
5.スペインの恋唄  松島詩子 作詞 矢野亮 作曲 吉田矢健治 昭和29年

6.マドロスさんは大嫌い   二葉百合子 作詞 黒田すゝむ 作曲 吉田矢健治 昭和33年
7.夕焼けとんび  三橋美智也 作詞 矢野亮 作曲 吉田矢健治 昭和33年
8.女心の唄  バーブ佐竹 作詞 山北由希夫 作曲 吉田矢健治 昭和39年
9.ひとり泣く夜のワルツ  江利チエミ 作詞 矢野亮 作曲 吉田矢健治 昭和42年
10.雨降る街角  春日八郎 作詞 東條寿三郎 作曲 吉田矢健治 昭和28年

深夜便の歌
  恋 はるか  南こうせつ 作詞 喜多條忠 作曲 南こうせつ


吉田矢健治(よしだや けんじ 1923年(大正12年)10月25日生まれ - 1998年(平成10年)11月6日没) 享年75歳。山口県岩国市出身出身。明治大学在学中はマンドリンクラブに所属。卒業後、作曲家利根一郎氏に師事。昭和25年12月にテイチクと専属契約を結び、翌26年に菅原都々子の『広東エレジー』で初ヒットを飛ばす。昭和27年にキングレコードに移籍。数々のヒットを手がけられました。

6曲目の「マドロスさんは大嫌い」を作詞した黒田すゝむさんは、楠木繁夫(本名 黒田進)さんのペンネームです。楠木繁夫さんは戦前に「緑の地平線」「女の階級」「人生劇場」などのヒット曲があります。
2:00~3:00 ロマンチックコンサート
 アンカー 宮川泰夫さん

 ♪曲目♪
1.生まれた街で  荒井由実 作詞・作曲 荒井由実 昭和49年
2.ポケットいっぱいの秘密  マナ with ティン・パン・アレイ 作詞 松本隆 作曲 穂口雄右 (昭和49年)
3.ろっか・ばい・まい・べいびい  西岡恭蔵 作詞・作曲 細野晴臣 昭和50年(昭和48年?)
4.ボン・ボヤージ波止場  小坂忠(こさかちゅう) 作詞・作曲 細野晴臣 昭和50年(昭和47年?)
5.ムーン・ライト  いしだあゆみ 作詞 橋本淳 作曲 細野晴臣 昭和52年

6.胸の振り子  雪村いずみ 作詞 サトウハチロー 作曲 服部良一 昭和49年(昭和22年)
7.そばかすのある少女  鈴木茂、南佳孝 作詞 松本隆 作曲 鈴木茂  昭和50年
8.香港ナイトサイト  松任谷正隆 作詞 荒井由実 作曲 松任谷正隆 昭和52年
9.イエロー・マジック・カーニバル  細野晴臣 作詞・作曲 細野晴臣 昭和50年


ティン・パン・アレイとその周辺のミュージシャンの曲をかけました。ティン・パン・アレイ(Tin Pan Alley)とは、もともとはニューヨークはマンハッタンの28番通りの一角を表す地名だそうです。ティン・パン・アレイは、細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆、林立夫の4人が結成しました。その周辺(というかお友達)アーティストには、山下達郎、荒井由実(松任谷由実)、高中正義、大貫妙子、矢野顕子、南佳孝、後藤次利、久保田麻琴、斉藤ノブ、伊藤銀次の方々がいます。

1曲目の「生まれた街」とは、荒井由実(ユーミン)さんの「生まれた街」である、八王子のことだそうです。

2曲目の「ポケットいっぱいの秘密」はご存知、アグネス・チャンが歌った曲です。

6曲目の「胸の振り子」は、昭和22年に霧島昇さんの歌、サトウハチローさんの作詞、服部良一さんの作曲で発売された曲です。 アレンジとバックはティン・パン・アレイが務めていて、曲の雰囲気がだいぶ違います。

それぞれの曲の発売年を調べて書きましたが、資料がわずかだったので間違いがあるかもしれません。

小生、ティン・パン・アレイについては名前だけは聞いたことがありましたが、宮川アンカーの当時の知識には脱帽です。演歌・歌謡曲中心の「のど自慢」からほとんどサブカルチャーに近いような楽曲までカバーしているとは驚きです。
3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 宮川泰夫さん

 ♪曲目♪
1.悪女  中島みゆき 作詞・作曲 中島みゆき 昭和56年
2.アザミ嬢のララバイ  中島みゆき 作詞・作曲 中島みゆき 昭和50年
3.ひとり上手  中島みゆき 作詞・作曲 中島みゆき 昭和55年
4.ルージュ  ちあきなおみ 作詞・作曲 中島みゆき 昭和52年
5.世迷い言  日吉ミミ 作詞 阿久悠 作曲 中島みゆき 昭和53年

6.春なのに  柏原芳恵 作詞・作曲 中島みゆき 昭和58年
7.空と君のあいだに  中島みゆき 作詞・作曲 中島みゆき 1994年(平成6年)
8.宙船(そらふね)  中島みゆき 作詞・作曲 中島みゆき 2006年(平成18年)

深夜便の歌
  恋 はるか  南こうせつ 作詞 喜多條忠 作曲 南こうせつ


宮川アンカーがNHK帯広支局に勤務していた昭和50年(1975年)に、中島みゆきさんがヤマハのポプコンに出るということでローカルの15分番組を作ったそうです。当時中島みゆきさんは札幌の大学に在学していましたが、実家が帯広で産婦人科をしていた縁で、宮川アンカーはそのときインタビューしたそうです。その後、帯広からは松山千春、吉田美和(ドリームズ・カム・トゥルー)などのビッグ・アーチストが輩出しました。

5曲目の「世迷い言」を宮川アンカーは「よまよいごと」と読んでいましたが、正しくは歌詞の中にも出てくるように「よまいごと」です。
 「世迷い言」の歌詞なかに 「デジタル時計がパタリとかわる・・・」 とあります。以下、そのデジタル時計に関して小生の思い出を語ってみます。
 当時のデジタル時計というものは内部に水晶発信子(水晶発信器)もなく表示は液晶でもありませんでした(コストダウンのためニキシー管という蛍光管も使っていませんでした)。このデジタル時計はリズム時計工業という会社で製造し、CITIZENブランドで販売されていました。以前仕事でリズム時計工業でそのデジタル時計を製造していた方と話をする機会があり、その方に「デジタル電気時計」について少し説明してもらいました。まとめると以下のような内容でした。
・この時計は乾電池でなく100Vのコンセントに差し込んで使用する。
・家庭用コンセントの交流100Vは50Hzまたは60Hzなので、その変動をカウントして1秒を測定する。
・静岡県の天竜川を境に東日本では50Hz,西日本では60Hzなので、時計のバックパネルには周波数切り替えスイッチがある。
・日本の交流100Vの周波数(50/60Hz)はとても(とてつもなく)精度が良く、時計の発振子として使える。
・家庭用コンセントの電圧が下がっても周波数は変わらない。
・電力をなるだけ使わないように、交流の変動だけで文字盤のパネルをめくるのに工夫がある。
 この「デジタル電気時計」は当時のヒット商品で、置いていない家が無いくらいでした。しかし「8セグメントの液晶表示(数字)」パネルが出回るようになると、たしか3,4年くらいで姿を消しました。
 角川映画で原田知世さんが主演していた「時をかける少女」の中で、このデジタル時計がありえない時間を表示することによって主人公が時間をさかのぼっていることを表現していました。その映画のDVDを借りてくると実際に動いている「デジタル電気時計」を見ることが出来ます。
 ネットを探し回ったら写真が見つかりました。
digital denki dokei


8曲目の「宙船」はTOKIOが歌っていますが、中島みゆきさん本人の歌で放送されました。男性グループのTOKIOをしのぐパワーで迫ってきます。TOKIOのボーカル永瀬くんと比べるのは酷ですが、相変わらず中嶋みゆきさんの歌声はイタコの口寄せのように聞く者の魂に迫ってきます。詩の内容は、「宙船」を「地球・日本」に、「お前」を「若者達」に「オール」を「主権」に、たとえるとまるで若者達に「お前ら、ちゃんと選挙に行けよ!」とでも言っているようです。
TOKIOの宙船PV(promotion video)が再びYouTubeにアップされていました。ジャニーズ系の映像としては珍しく男っぽい(カッコいい)作りです。

2:00~3:00 ロマンチックコンサート
 アンカー 水野節彦さん

 ♪曲目♪
1.碧空  アルフレッド・ハウゼ楽団
2.バラのタンゴ  アルフレッド・ハウゼ楽団
3.カミニート  アルフレッド・ハウゼ楽団
4.夜のタンゴ  アルフレッド・ハウゼ楽団
5.カプリ島  アルフレッド・ハウゼ楽団

6.アルベニスのタンゴ  アルフレッド・ハウゼ楽団
7.ビオレッタに捧げし歌  アルフレッド・ハウゼ楽団
8.オレ・グアッパ  マランド楽団
9.イタリーの庭  マランド楽団
10.奥様お手をどうぞ  マランド楽団

11.ジェラシー  マランド楽団
12.夜のバイオリン  マランド楽団


アルフレッド・ハウゼ (Alfred Hause, 1921年8月8日生まれ - 2005年1月14日没) は、ドイツのヨーロッパタンゴ演奏家、アルフレッド・ハウゼ楽団を率いて活躍しました。

水野アンカーの解説によると、現在のマランド楽団の指揮者は創始者のお孫さんが務めているそうです。
3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 水野節彦さん

 ♪曲目♪
1.よこはま・たそがれ  五木ひろし 作詞 山口洋子 作曲 平尾昌晃 昭和46年
2.夜空  五木ひろし 作詞 山口洋子 作曲 平尾昌晃 昭和48年
3.細雪(ささめゆき)  五木ひろし 作詞 吉岡治 作曲 市川昭介 昭和58年
4.千曲川  五木ひろし 作詞 山口洋子 作曲 猪俣公章 昭和50年
5.ふるさと  五木ひろし 作詞 山口洋子 作曲 平尾昌晃 昭和48年

6.長良川艶歌  五木ひろし 作詞 石本美由起 作曲 岡千秋 昭和59年
7.そして…めぐり逢い  五木ひろし 作詞 荒木とよひさ 作曲 中村泰士 昭和60年
8.おまえとふたり  五木ひろし 作詞 たかたかし 作曲 木村好夫 昭和54年
9.居酒屋  五木ひろし、木の実ナナ 作詞 阿久悠 作曲 大野克夫 昭和57年

深夜便の歌
  恋 はるか  南こうせつ 作詞 喜多條忠 作曲 南こうせつ

五木ひろしさんの公式ホームページです。→
http://www.itsuki-hiroshi.co.jp/index.html
2:00~3:00 ロマンチックコンサート
 アンカー 国井雅比古さん

 ♪曲目♪
1.幸せの黄色いリボン(Tie a Yellow Ribbon 'Round the Old Oak Tree)  トニー・オーランド&ドーン(Tony Orlando & Dawn) 1973
2.愛ある限り(Love Will Keep Us Together)  キャプテン&テニール (Captain & Tennille)  1975
3.イフ(If)  ブレッド(Bread) 1971
4.恋のナイト・フィーバー(Night Fiver)  ビージーズ (The Bee Gees)  1978
5.ミスター・メロディ(Mr. Melody)  ナタリー・コール(Natalie Cole) 1976

6.恋するデビー(You Light Up My Life)  デビー・ブーン(Debby Boone) 1977
7.オール・バイ・マイセルフ(All By Myself)  エリック・カルメン(Eric Carmen) 1976
8.ユー・アー・シックスティーン(You're Sixteen)  リンゴ・スター(Ringo Starr) 1973
9.故郷へ帰りたい(カントリー・ロード)(Take Me Home, Country Roads)  オリビア・ニュートン・ジョン(Olivia Newton-John)
10.バビロンの河(Rivers Of Babylon)  ボニー・エム(Boney M) 1978



6曲目の「恋するデビー」を歌ったデビー・ブーンはパット・ブーン(「砂に書いたラブレター」が有名)の三女だそうです。この曲はその年のアカデミー賞(Academy Award for Best Original Song)を受賞しています。

10曲目「バビロンの河」はイギリスと日本でヒットしましたが、アメリカではまったくヒットしなかったそうです。踊りに行ったディスコでよく掛かっていた事を覚えています。
3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 国井雅比古さん

 ♪曲目♪
1.丘を越えて  藤山一郎 作詞 島田芳文 作曲 古賀政男 昭和6年
2.高原の旅愁  伊藤久男 作詞 関沢潤一郎 作曲 八洲秀章 昭和15年
3.湖畔の乙女  菊池章子 作詞 西條八十 作曲 早乙女光 昭和18年
4.無情の夢  児玉好雄 作詞 佐伯孝夫 作曲 佐々木俊一 昭和10年
5.古き花園  二葉あき子 作詞 サトウハチロー 作曲 早乙女光 昭和14年

6.マロニエの木蔭  松島詩子 作詞 坂口淳 作曲 細川潤一 昭和12年
7.或る雨の午後  ディック・ミネ 作詞 和気徹 作曲 大久保徳二郎 昭和14年
8.希望の首途(きぼうのかどで)  松平 晃 作詞 久保田宵二 作曲 江口夜詩 昭和9年
9.鈴懸の径(すずかけのみち)  灰田勝彦 作詞 佐伯孝夫 作曲 灰田晴彦 昭和17年

深夜便の歌
  恋 はるか  南こうせつ 作詞 喜多條忠 作曲 南こうせつ


昨日は、東京では放送設備点検のため、深夜のNHK-FMの放送は休止していました。したがって当ブログもお休みでした。

1曲目の「丘を越えて」は昭和のスタンダードです。それにしても前奏と間奏の長いこと。もともとはマンドリン合奏曲で、それに後から詞をつけたのだそうです。

8曲目の「希望の首途」は作曲者の江口夜詩さんが「丘を越えて」を強く意識して作曲したのだそうです。江口さんが亡くなる一年前の昭和52年に病院に担ぎ込まれたとき、「なにかアレルギーはお持ちですか?」と聞かれるとき江口さんは「僕のアレルギーは『丘を越えて』、だよ」と答えたそうです。

この昭和初期の期間には、今回放送された曲のほかに戦時歌謡として有名な曲が多数発表されています。NHKでは放送されるべくも無いでしょうが、まったく無視するのもおかしいと思うので、主な曲をリストしてみました。
 満州行進曲(昭和7年)、爆弾三勇士の歌(昭和7年)、討匪行(昭和7年)
 露営の歌(昭和12年)、海行かば(昭和12年)、愛国行進曲(昭和13年)
 荒鷲の歌(昭和13年)、麦と兵隊(昭和13年)、愛馬進軍歌(昭和14年)
 父よあなたは強かった(昭和14年)、出征兵士を送る歌(昭和14年)
 隣組(昭和15年)、月月火水木金金(昭和15年)、加藤部隊歌(昭和18年)
 若鷲の歌(昭和18年)、ラバウル海軍航空隊(昭和18年)
 勝利の日まで(昭和19年)、ああ紅の血は燃ゆる(昭和19年)
 同期の桜(昭和19年)、ラバウル小唄(昭和19年)
これらの曲は昭和7年頃から昭和20年の間にだけ現れて、今回放送された歌とは明らかに一線を画しています。戦争の環境が作り出した歌の数々といったところでしょうか。当時の敵国であったアメリカなどの外国にも、戦時歌謡というジャンルはあったのでしょうか。ふと気になりました。
ちなみに、「麦と兵隊」はラジオ深夜便「特集・わが人生の歌語り 作家 五木寛之」の中で一度放送されたことがあります。
2:00~3:00 ロマンチックコンサート
 アンカー 榊寿之さん

 ♪曲目♪
1.ブルー・スウェード・シューズ(Blue Suede Shoes)  エルヴィス・プレスリー 1956
2.ザッツ・オール・ライト(That's All Right)  エルヴィス・プレスリー 1954
3.ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー(Blue Moon Of Kentucky)  エルヴィス・プレスリー 1954
4.ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス(Baby Let's Play House)  エルヴィス・プレスリー 1956
5.ミステリー・トレイン(Mystery Train)  エルヴィス・プレスリー 

6.ハート・ブレイク・ホテル(HeartBreak Hotel)  エルヴィス・プレスリー 1956
7.ただ一人の男(I Was The One)  エルヴィス・プレスリー 1956
8.アイ・ウォンツ・ユー・アイ・ニード・ユー・アイ・ラブ・ユー(I Want You, I Need You, I Love You)  エルヴィス・プレスリー 1956
9.冷たくしないで(Don't Be Cruel)  エルヴィス・プレスリー 1956
10.ラブ・ミー・テンダー(Love Me Tender)  エルヴィス・プレスリー 1956

11.恋にしびれて(All Shook Up)  エルヴィス・プレスリー 1956
12.監獄ロック(Jailhouse Rock)  エルヴィス・プレスリー 1957
13.ドントまずいぜ(Don't)  エルヴィス・プレスリー 1957
14.アイ・ニード・ユア・ラブ・トゥナイト(I Need Your Love Tonight)  エルヴィス・プレスリー 1958
15.ア・フール・サッチュ・アズ・アイ(A Fool Such As I)  エルヴィス・プレスリー 1958

16.ハウンド・ドッグ(Hound Dog)  エルヴィス・プレスリー 1956


エルヴィス・アーロン・プレスリー (Elvis Aron Presley, 1935年1月8日生まれ - 1977年8月16日没)
今回は1950年代の作品(プレスリーの比較的初期の作品)から紹介されました。

2曲目の「ザッツ・オール・ライト」はプレスリーの最初のヒット曲になったそうです。ラジオのディスクジョッキーで放送されたら、反響が大きくて14回も放送されたそうです。

3曲目の「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」は2曲目の「ザッツ・オール・ライト」とカップリング(同じレコードに収録)された曲だそうです。

アルバム、シングル、出演した映画などのデータがこちらにありました。→
http://www.genkipolitan.com/elvis/index.html

当ブログでも 2006/8/15、2006/8/29 にエルビス・プレスリーの特集があったので記事にしています。→
2006/8/15 http://radioshinyabin.blog71.fc2.com/blog-entry-109.html
2006/8/29 http://radioshinyabin.blog71.fc2.com/blog-entry-133.html
3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 榊寿之さん

 ♪曲目♪
1.石狩挽歌  北原ミレイ 作詞 なかにし礼 作曲 浜圭介 昭和50年
2.終着駅  奥村チヨ 作詞 千家和也 作曲 浜圭介 昭和46年
3.そして神戸  内山田洋とクールファイブ 作詞 千家和也 作曲 浜圭介 昭和47年
4.  三善英史 作詞 千家和也 作曲 浜圭介 昭和47年
5.ひとり旅  佐良直美 作詞 吉田旺 作曲 浜圭介 昭和51年

6.夢飾り  島倉千代子 作詞 里村龍一 作曲 浜圭介 昭和59年
7.望郷じょんから  細川 たかし 作詞 里村龍一 作曲 浜圭介 昭和60年
8.心凍らせて  高山厳 作詞 荒木とよひさ 作曲 浜 圭介 1992年(平成4年)
9.舟唄  浜圭介 作詞 阿久悠 作曲 浜圭介 (昭和54年)

深夜便の歌
  冬の旅  倍賞千恵子 作詞 五木寛之 作曲 小六禮次郎


浜圭介(はま けいすけ、1946年4月8日生まれ)は、作曲家。旧満州(中国東北部)出身。終戦で青森県大鰐町に引き上げ、札幌市で少年時代をすごす。62年上京し、同郷の歌手・森山加代子の付き人となる。その後作曲家に転身する。演歌ではない、大人のモダン歌謡曲の確立を目指している。

4曲目の「」について、小生、当時珍しいこの歌のプロモーションビデオがあったことを覚えています。今でもしばしば静かなの降る日はこの歌を口ずさんだりします。好きな歌です。

本日の家庭菜園談義は、サトイモの親芋を料理するお便りが紹介されました。

9曲目の「舟唄」はご存知八代亜紀さんの歌でよく知られていますが、今回は作曲者の浜圭介さんご自身の歌が放送されました。浜圭介さんはもと歌手でもありました。
3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 西橋正泰さん

 ♪曲目♪
1.柿の木坂の家  青木光一 作詞 石本美由起 作曲 船村徹 昭和32年
2.としごろ  山口百恵 作詞 阿木燿子 作曲 宇崎竜童 昭和48年
3.早く帰ってコ  青木光一 作詞 高野公男 作曲 船村徹 昭和31年
4.男の友情  青木光一 作詞 高野公男 作曲 船村徹 昭和32年
5.いい日旅立ち  山口百恵 作詞・作曲 谷村新司 昭和53年

6.さよならの向こう側  山口百恵 作詞 阿木燿子 作曲 宇崎竜童 昭和55年
7.元気でねさようなら  青木光一 作詞 野村俊夫 作曲 三界稔 昭和32年
8.ひと夏の経験  山口百恵 作詞 千家和也 作曲 都倉俊一 昭和49年
9.ふるさと列車  青木光一 作詞 小山敬三 作曲 船村徹 昭和33年
10.イミテーション・ゴールド  山口百恵 作詞 阿木耀子 作曲 宇崎竜童 昭和52年

深夜便の歌
  冬の旅  倍賞千恵子 作詞 五木寛之 作曲 小六禮次郎 (途中まで)


青木光一 出身地 旧満州奉天
1926(大正15)年2月17日 生まれ
1944年3月、奉天中央放送合唱団入団
1945年2月、関東軍入隊。敗戦により同年10月から4年間シベリアで抑留生活
2003年4月、日本歌手協会会長に就任 日本歌手協会 第6代会長

山口百恵さんについては、過去の当ブログの記事を参照ください。こちら→
http://radioshinyabin.blog71.fc2.com/blog-entry-189.htm
4:00~5:00 こころの時代
 アンカー 西橋正泰 さん

大櫛戊辰(おおくし つちや)
福岡県志摩町出身 終戦当時、南満州電信電話株式会社 17才

・大阪通信学校(満州電信電話株式会社の社員養成学校、期間1年)卒業、満州電信電話会社に電信オペレータとして就職
・赴任地の興安総省興安についたときの印象は、夏だったので馬糞臭い街、蒼茫とした街だった。
・蒙古馬に乗って草原を走り回った。比較的のびのびとした生活を送っていた。

・300キロほど北にあった(ノモンハンのそば)興安電信局の支局からソ連が侵攻してきたという知らせを1945年8月9日午前2時か3時前に受け取った。3時間後の午前6時に満州の首都であった新京(長春)から全満にそのことが放送された。
・在留邦人は、興安の町の西半分では官舎などでまとまって住んでいたが、東半分は古くからすんでいる個人の住宅が散在していた。そんなこともあって東半分に住んでいた邦人の避難が遅れた。
・ソ連参戦と同時に満州の全鉄道は関東軍の指揮下におかれた。動かせる貨車はすべて軍人とその家族の避難に優先して使われ、一般の在留邦人の避難に使用することは予定されていなかった。
・残された邦人は市内に集まると暴徒から攻撃を受けるかもしれないので、いったん東4kmにある近郊のウランハタという村に集結した。
・千数百人は興安総省参事官浅野良三のもとに行動することになった。浅野氏は満州の役人には珍しく温厚な方だった。役人になる前は大谷探検隊に参加していたこともあった。ロシア語なども話し、ユーモアもあったという。
・千数百人の邦人は避難民としての組織を構成するのに時間がかかったのと、ほかにいくつかのトラブルが重なって出発が13日になった。
・いくつかの避難ルートがあったが、浅野参事官が指揮して葛根廟での列車、炊き出しなどの手配をして、ウランハタから鉄道の通っている葛根廟まで30Kmを歩くことにきまった。
・トラックが一台だけあり、食料調達のために興安の町に買出しに行ったら群集に襲われて、運転手らは命からがら帰ってきた。用意していた馬車を反乱した満州国軍に拉致されたという話もあるが、馬車を用意していた形跡が無いし、確たる証言がない。

・あとで分かったことだが、8月10日関東軍は全軍に対して南部への撤退命令を出している。一方、関東軍は残された邦人に向け、「関東軍は国境方面でソ連軍を撃砕しつつあるので動揺せず平常の職務に邁進すること」と呼びかけていた。
・在留邦人、とくに開拓団の関東軍への信頼は盲信というべきものであった。自分たちを守ってくれるものと思っていた。
・関東軍の撤退は極秘事項であり、浅野参事官も知らなかった。
・ウランハタを出発したときは豪雨で、泥濘の中を行進し葛根廟に昼頃ついた。
・国境からの距離を考えると、ソ連軍が来るまでは一週間くらいかかるだろうと思っていた。
・実際には国境付近には関東軍がいなかったのと、ソ連軍の機械化が進んでいて1日に100Kmも侵攻するとは予想もしなかった。
・われわれはソ連軍に追撃されたようにおもった。離れた高地から見ていた関東軍の鈴木斥候隊は、ソ連軍が待ち構えて布陣しており、偶然に生じた殺戮では無かったと言っている。
・ソ連軍の攻撃は瞬時にして終わった。
・現地の中国人の話では、避難民はソ連軍からの武装解除の命令に従わなかった、ソ連軍に対して発砲した、ということだが、それを目撃した証言はない。

・ソ連軍の攻撃を受けたとき、私は先頭にいた。武装した成人男性は最後尾にいた。丘を越えて南方3Kmに葛根廟の駅が見えた。後ろを見ると避難民が蜘蛛の子を散らすように丘を下ってきていた。その後ろにマッチ箱のような戦車が見えた。
・反乱軍だと思って取って返したが、弾幕と硝煙の立ち込める中、ソ連軍の戦車に遭遇し体が動かなくなった。恐怖心で冷静な判断が出来なくなった。
・本能的にわき道に飛び込み粟畑の中に隠れた。ソ連兵が戦車から降りてきて銃で掃討し始めたのを見ると、ここで死ぬんだと思い、急に睡魔に襲われて眠ってしまった。目がさめるとソ連軍はいなくなっていた。
・ソ連軍の攻撃のあと、現住農民から襲撃にあった。農民たちは死体から衣服を剥ぎ取ったので裸の死体がごろごろしていた。生き残った女や子供を拉致したりもした。
・ソ連軍から生き残った人たちのなかにも集団で自決する人がいた。生きて辱めを受けるよりは死んだほうがいいという当時の考え方であった。
・その年には成人男性は関東軍に根こそぎ徴兵されていたので、避難民は婦女子が多く、悲観的になって自決する人も多かった。我が子を包丁で殺した後、自分も自決する母親などもいて悲惨であった。
・千数百名の在留邦人の避難民は、ソ連軍の攻撃の後200人は生き残っていたと思う。そのあと自決したり、暴民に襲われたり体力が続かず死んだりして、今確認できている生還者は100人。
・残留婦人は2名、残留孤児は24,5名。残留孤児のうち22名は帰国している。

・防衛省にある関東軍の戦史によると、「満州における庶民の悲惨事は戦争経験の無い庶民自らの責任であり、その安全は敵国ソ連の道義である」との記録がある。私(大櫛)は、国を守る前に、同邦人の生命を守るというのが軍の本旨ではないかと思う。
・事件の50年後、1995年の8月14日に大櫛さんは葛根廟に行った。鎮魂をするつもりで行ったが、どんな言葉を言っても撥ね付けられるような気がした。
・あまりにも庶民のむごさが戦争で露呈する。むごい仕打ちは敵からも味方の軍隊からも受ける。
・亡くなった方への供養はどうしたらいいんだろうかと今でも考える。壮絶な死であろうと、餓死であろうと同じ死である、死を直視すべきではないだろうか。


小生の出身は四国の寒村ですが、前の前の市町村合併をする村では、村民から562人の満蒙開拓団が渡満し、敗戦で181人が帰国しました。残りの方は満州(中国東北部)の土になっています。(帰国率32%)

インターネットで調べたら、満州からの帰国者の比率は以下のようになっていました。
 ●一般在満邦人 123万人→帰国者114万3千人(帰国率93%)
 ●開拓団員    32万人→帰国者24万人(帰国率75%)

最近、防衛庁から防衛省になりましたが、今度はわれわれ日本国民を守るARMY(軍隊)になってくれるでしょうか(小生は軍事力を肯定するものではありません。特に日本は無いほうが良い)。
前の戦争で失策をした人と同じ考えを持った人がその組織から完全に排除されているでしょうか。プレーヤーの交代が無い限り同じ事を繰り返します、集団スポーツのゲームと同じです。心してウォッチしていきたいと思います。
2:00~3:00 ロマンチックコンサート
 アンカー 迎康子さん

 ♪曲目♪
1.今夜決めよう(Tonight's the night)  ロッド・スチュワート
2.マギー・メイ(Maggie May)  ロッド・スチュワート 1971
3.エンジェル(Angel)  ロッド・スチュワート
4.胸につのる思い(You're In My Heart)  ロッド・スチュワート
5.アイム・セクシー(Da Ya Think I'm Sexy?)  ロッド・スチュワート

6.クレイジー・ラブ(Crazy Love)  ロッド・スチュワート
7.スマイル(Smile)  ロッド・スチュワート
8.ピープル・ゲット・レディ(People Get Ready)  ロッド・スチュワート with ジェフ・ベック
9.セイリング(Saling)  ロッド・スチュワート


ロッド・スチュワート ロデリック・デーヴィッド・スチュワート (Roderick David Stewart, 1945年1月10日生まれ)は、スコットランド家系のイギリスのミュージシャンです。日本では全英チャート1位を記録した「セイリング」が有名。また「スバル・レガシィ」 (富士重工業) のTVCMに出演したことがあります。いわゆるハスキーボイスの持ち主で、その独特のしゃがれた声は一度聞いたら忘れられません。

7曲目の「スマイル」は、チャップリンが作曲した曲です。チャップリンの名作「モダンタイムス」のラストシーンで、チャップリンとポーレット・ゴダードが腕組をしながらトボトボ歩いていくシーンで流れます。後にジョン・ターナーとジョフリー・パーソンズが歌詞をつけ、たくさんのカバーを生むことになりました。迎アンカーが日本語の訳詞を読んで紹介していました。

9曲目の「セイリング」の解説で、迎アンカーが日本語で訳した詞を紹介しましていました。ちょっと訳のニュアンスが違っているように思ったので下に詞を載せてみました。
全曲聴くと分かるのですが、「セイリング」は、
 私はまさに今死んで行こうとしています。私(の魂)が海を越え、空を飛んでいきます。あなた(神)の御許へ、(苦しみから)自由になるために。
といった内容を歌っています。

I am sailing, I am sailing, Home again cross the sea.
I am sailing, stormy waters, To be near you, to be free.

I am flying, I am flying, Like a bird cross the sky.
I am flying, passing high clouds, To be with you, to be free.

Can you hear me, can you hear me Thro the dark night, far away,
I am dying, forever trying, To be with you, who can say.

Can you hear me, can you hear me, Thro the dark night far away.
I am dying, forever trying, To be with you, who can say.

We are sailing, we are sailing, Home again cross the sea.
We are sailing stormy waters, To be near you, to be free.

Oh lord, to be near you, to be free. Oh lord, to be near you, to be free,
Oh lord.

小生、仏教徒ですが、葬式の時にはこの曲を流して、参列者にも歌ってもらって送られたいです。日本で例えれば、自分で唱える枕経といったところでしょうか。
3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 迎康子さん

 ♪曲目♪
1.ああ上野駅  井沢八郎 作詞 関口義明 作曲 荒井英一 昭和39年
2.伊勢佐木町ブルース  青江三奈 作詞 川内康範 作曲 鈴木庸一 昭和43年
3.愛の奇跡  ヒデとロザンナ 作詞 中村小太郎 作曲 田辺信一 昭和43年
4.恋のしずく  伊藤ゆかり 作詞 安井かずみ 作曲 平尾昌晃 昭和43年
5.夕月  黛ジュン 作詞 なかにし礼 作曲 三木たかし 昭和43年

6.新宿そだち   大木英夫、津山洋子 作詞 別所透 作曲 遠藤実 昭和42年 9月
7.霧にむせぶ夜  黒木憲 作詞 丹古晴已(たんごはるき) 作曲 鈴木淳 昭和43年
8.花の首飾り  ザ・タイガース 作詞 菅原房子 補作詞 なかにし礼 作曲 すぎやまこういち 昭和43年
9.悲しくてやりきれない  ザ・フォーク・クルセダーズ 作詞 サトウ・ハチロー 作曲 加藤和彦 昭和43年
10.グッドナイト・ベイビー  キングトーンズ 作詞 ひろまなみ 作曲 むつひろし 昭和43年

深夜便の歌
  冬の旅  倍賞千恵子 作詞 五木寛之 作曲 小六禮次郎



昨日1月17日、歌手の井沢八郎さんが病死(享年69)されたので、番組の最初に「ああ上野駅」をかけて追悼しました。2003年には「ああ上野駅」の歌碑が上野駅に作られました。

2曲目の「伊勢佐木町ブルース」を歌った青江ミナさんの名前は、作詞家の川内康範さんがつけたそうです。

6曲目の「新宿そだち」は、小生がネットで調べたら、昭和42年9月の発売でした。

迎アンカーは昭和40年代にザ・タイガースの武道館コンサートに行ったそうです。テンプターズのコンサートにも行ったそうです。
3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 川野一宇さん

 ♪曲目♪
1.旅の夜風  霧島昇、ミス・コロムビア(松原操) 作詞 西條八十 作曲 万城目正 昭和13年
2.東京行進曲  佐藤千夜子 作詞 西條八十 作曲 中山晋平 昭和4年
3.丸の内音頭  藤本二三吉 作詞 西條八十 作曲 中山晋平 昭和7年
4.天国に結ぶ恋  徳山(とくやまたまき)、四家文子 作詞 柳水巴 作曲 林純平 昭和7年
5.サ-カスの唄  松平晃 作詞 西條八十 作曲 古賀政男 昭和8年

6.鞠と殿さま  服部富子 作詞 西條八十 作曲 中山晋平 昭和5年
7.お菓子と娘  奥田良三 作詞 西條八十 作曲 橋本国彦 昭和4年
8.王様の馬(金の鈴)  森繁久彌 訳詞 西條八十 作詞 Viktor Leon(ヴィクトル・レオン) 作曲 Franz Lehár(フランツ・レハール) 
9.東京ブルース  淡谷のり子 作詞 西條八十 作曲 服部良一 昭和14年
10.蘇州夜曲  霧島昇、渡辺はま子 作詞 西條八十 作曲 服部良一 昭和15年

11.誰か故郷を想わざる  霧島昇 作詞 西條八十 作曲 古賀政男 昭和15年

深夜便の歌
  冬の旅  倍賞千恵子 作詞 五木寛之 作曲 小六禮次郎


3曲目の「丸の内音頭」は、西條八十さんが町内会長さんと朝風呂で一緒になった時に依頼されて作ったそうです。日比谷公園での盆踊り大会で披露されました。1933年(昭和8年)、当時の東京市民すべてが歌えるように改題・改詞され、小唄勝太郎と三島一声の歌唱でレコード化され、爆発的に流行しました。
その「丸の内音頭」が「日比谷公園 丸の内音頭 大盆踊り大会」と銘打って2003年から8月のお盆前後に日比谷公園で歌い踊られています。小生も知ってはいましたが、行った事はありませんでした。行った人のブログなど見たら、とても楽しそうです。圧巻は、あの大きな噴水の周りをぐるっと囲んで踊る「丸の内音頭」です。去年はたしか、近所にあるイギリス大使館の人が太鼓をたたいてるとか聞きました。今年は行ってみようかな。下にリンクを載せました。映像はYOUTUBEにありました。検索キーワードを youtube 盆踊り 日比谷公園 で検索してみると出てきます。
http://keitonokutusita.com/koramu/hibiyabonodori.html
http://chiyoda-tokyo.sakura.ne.jp/pic-htm/marubon.htm

4曲目の「天国に結ぶ恋」は作詞の西條八十さんが「柳水巴」、作曲の松平信博さんが「林純平」のペンネームで発表しています。大磯の坂田山でおこった心中事件を題材にしています。この心中事件の詳しい記事がこちらにありました。→ http://www.janjan.jp/column/0604/0604263032/1.php

5曲目の「鞠と殿さま」を歌った服部富子さんは作曲家の服部良一さんの妹です。川野アンカーによると、歌の最後に「・・・なったげな」と歌うところがきちんと鼻濁音の「げ」になっているとの事です。

8曲目の「王様の馬」は、小生がインターネットで調べたところによると、オーストリア人のオペレッタ作曲者フランツ・レハールが作曲し、同じくオペレッタの台本作家ヴィクトル・レオンが作詞したようです(推定です)。小生、この曲は初めて聴きましたが、聴き覚えのある旋律でした。不思議に思っていろいろ調べたら、NHKによって2004年3月に放送されたドキュメンタリー「レハール 晩年の悲劇」という番組があり、小生その番組を見ていたので、そのなかでこの旋律が流れたのかもしれません。
レハールの作曲したオペレッタの作品中演奏される歌の数々は、今日でもヨーロッパのスタンダード・ナンバーとして残っており、映画音楽として用いられる事もあるようです。この曲を紹介した川野アンカーは、「王様の馬」というべきところ、「王様の歌」と言い間違えていました。
この曲のおかげで、オペレッタ作曲者のフランツ・レハールを知ることが出来ました。機会があれば彼のオペレッタを見てみたいものです。
3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 須磨佳津江さん

 ♪曲目♪
1.リンゴの木の下で(In The Shade Of The Old Apple Tree)  ディック・ミネ 訳詞 柏木みのる 作詞/作曲 H.H.Williams/E.V.Alstyne
2.火の接吻(Kiss of Fire)  ディック・ミネ 訳詞 ディック・ミネ 作詞 L.Allen & R.Hill 作曲 A.Viyozd
3.ブルー・ムーン(Blue Moon)  灰田勝彦 訳詞 永田哲夫 作詞 Lorenz Hart 作曲 Richard Rodgers
4.ダイナ(Dinah)  岸井明 訳詞 上山雅輔 作詞 Samuel Lewis & Joe Young  作曲 Harry Askt
5.街の四人組(シング・シング・シング)(Sing Sing Sing)  日本ビクター・リズム・ジョーカーズ 訳詞 リズム・ジョーカーズ 作詞・作曲 Louis Prima

6.テネシー・ワルツ(Tennessee Waltz)  フランキー堺 作詞/作曲 Pee Wee King & Redd Stewart
7.プリテンド(Pretend)  柳沢真一 訳詞 井田誠一 作詞/作曲 Lew Douglas & Cliff Parman & Frank Lavere
8.アイ・ニード・ユー(I Need You Now)  高島忠夫 訳詞 井田誠一 作詞/作曲 AlJacobs & Jimmie Crane
9.南国の夜(On A Tropic Night)  大橋節夫 日本語詞 大橋節夫 作詞/作曲 Agustin Lara & Ned Washigton
10.16トン(16 Tons)  フランク永井 訳詞 井田誠一 作詞/作曲 Merle Travis

深夜便の歌
  冬の旅  倍賞千恵子 作詞 五木寛之 作曲 小六禮次郎



ディック・ミネさんと灰田勝彦さんは立教大学の先輩と後輩にあたるそうです。

当時のジャズの雰囲気が伝わってきます。
2:00~3:00 ロマンチックコンサート
 アンカー 明石勇さん

 ♪曲目♪
1.スウィート・ラブ・オブ・マイン(Sweet Love Of Mine)  ジャッキー・マクリーン(Jackie McLean)(as) 1967
2.リメンバー(Remember)  ハンク・モブレー(Hank Mobley)(ts) 1960
3.今宵の君は(The Way You Look Tonight)  キャノンボール・アダレー(Cannonball Adderley)(as) 1956
4.虹の彼方に(Over The Railbow)  ベン・ウェブスター(Ben Webster) 1964
5.チューン・アップ(Tune Up)  ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)(ts) 1957

6.アリゲータ・ブーガルー(Alligator Boogaloo)  ルー・ドナルドソン(Lou Donaldson)(as)1967
7.魅せられて(Bewitched)  アート・ペッパー(Art Pepper)(as) 1956


楽器の略称
ts テナー・サックス
as アルト・サックス
3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 明石勇さん

 ♪曲目♪
1.街のサンドイッチマン  鶴田浩二 作詞 宮川哲夫 作曲 吉田正 昭和28年
2.弥太郎笠  鶴田浩二 作詞 佐伯孝夫 作曲 佐々木俊一 昭和27年
3.ハワイの夜  鶴田浩二 作詞 佐伯孝夫 作曲 司潤吉 昭和28年
4.街角のブルース  鶴田浩二 作詞 宮川哲夫 作曲 利根一郎
5.赤と黒のブルース  鶴田浩二 作詞 宮川哲夫 作曲 吉田正 昭和30年

6.好きだった  鶴田浩二 作詞 宮川哲夫 作曲 吉田正 昭和31年
7.  鶴田浩二 作詞 藤田まさと 作曲 吉田正 昭和46年
8.船頭小唄  鶴田浩二 作詞 野口雨情 作曲 中山晋平  (大正10年)
9.傷だらけの人生  鶴田浩二 作詞 藤田まさと 作曲 吉田正 昭和45年

深夜便の歌
  恋 はるか  南こうせつ 作詞 喜多條忠 作曲 南こうせつ


鶴田浩二(つるた こうじ、1924年12月6日生まれ~1987年6月16日没)本名・小野榮一。静岡県浜松市出身。昭和中期から末期(1940年代後半-1980年代)の俳優、歌手。

明石アンカーは鶴田浩二さんが青春スターを演じているころの映画を見ていたので、青春スターのイメージが大きいそうです。小生は鶴田浩二さんのイメージといえば「任侠(やくざ)映画」に出演していた着流しに雪駄の姿が思い出されます。亡くなられてもう20年経ちました。早いものですねぇ。

明石アンカーが番組の中で、戦争を体験された世代の方は(今のうちに)若い世代に戦争の体験を語って欲しいといっていました。小生も同感です。小生には、戦争に行き復員した三人の叔父がいます。この20年の間に直接話をきくことが出来ました。一人は陸軍で沖縄戦。一人は海軍で戦艦艦長付の従卒、下士官。もう一人は海軍で銚子の海軍通信所に勤務。そのうちの二人はすでに鬼籍に入りました。
2:00~3:00 ロマンチックコンサート
 アンカー 加賀美幸子さん

 ♪曲目♪
1.ブリージン(Breezin)  ジョージ・ベンソン(George Benson) 1976
2.ルーム335(Room335)  ラリー・カールトン(Larry Carlton) 1978
3.リヴィング・インサイド・ユア・ラヴ(Living Inside Your Love)  アール・クルー(Earl Klugh) 1976
4.ティージン(Teasin')  コーネル・デュプリー(Cornell Dupree) 1973
5.ブラザー・ブラザー(Brother,Brother)  デヴィット・T・ウォーカー(David T. Walker)  1973

6.やさしく歌って(Killing me softly with His song)  エリック・ゲイル(Eric Gale)
7.シュガー・ローフ・エクスプレス(Sugar Loaf Express)  リー・リトナー(Lee Ritenour)
8.フェイズ・ダンス(Phase Dance)  パット・メセニー(Pat Metheny)


70年代ギタリストのフュージョン・ミュージックをあつめて放送されました。
3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 加賀美幸子さん

 ♪曲目♪
1.赤い靴  ひばり児童合唱団 作詞 野口雨情 作曲 本居長世 (大正10年)
2.雨降りお月  真理ヨシコ 作詞 野口雨情 作曲 中山晋平 (大正14年)
3.十五夜お月さん  斎藤昌子 作詞 野口雨情 作曲 本居長世 (大正9年)
4.あの町この町  ダーク・ダックス 作詞 野口雨情 作曲 中山晋平 (大正13年)
5.俵はごろごろ  加藤登紀子 作詞 野口雨情 作曲 本居長世 (大正14年)

6.春の歌  河村順子 作詞 野口雨情 作曲 草川信 (昭和3年)
7.白頭鳥(ぺたこ)/茶の樹  藍川由美 作詞 野口雨情 作曲 中山晋平 (昭和2年/大正14年)
8.箱根の山/よいよい横町  藍川由美 作詞 野口雨情 作曲 山田耕筰 (大正10年/大正15年)
9.足柄山  藍川由美 作詞 野口雨情 作曲 藤井清水 (大正12年)
10.信田の藪(しのだのやぶ)  波崎共子 作詞 野口雨情 作曲 藤井清水 (大正12年)

11.捨てた葱  ボニー・ジャックス 作詞 野口雨情 作曲 山田耕筰 (大正15年)
12.兎のダンス  安田祥子 作詞 野口雨情 作曲 中山晋平 (大正13年)
13.木の葉のお舟  松田トシ 作詞 野口雨情 作曲 中山晋平 (大正13年)
14.七つの子  音羽ゆりかご会 作詞 野口雨情 作曲 本居長世 (大正10年)

深夜便の歌
  恋 はるか  南こうせつ 作詞 喜多條忠 作曲 南こうせつ


野口雨情(のぐち うじょう、1882年(明治15年)5月29日生まれ - 1945年(昭和20年)1月27日没)は詩人、童謡・民謡作詞家。本名は野口英吉。茨城県多賀郡磯原村(現・北茨城市)出身。

小生、小学生の頃「赤い靴」「雨降りお月」「十五夜お月さん」「あの町この町」の内容が不気味で怖い感覚に襲われたものでした。

7曲目の「ぺたこ」は台湾に生息する頭の白い鳥のことのようです。小生初めて聞きましたが、とてもかわいい歌詞です。こちらに歌詞がありました。→
http://miyazaemon.cocolog-nifty.com/mi/2006/11/post_95e1.html
3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 峯尾武男さん

 ♪曲目♪
1.この広い野原いっぱい  森山良子 作詞 小園江圭子 作曲 森山良子 昭和42年
2.旅の宿  吉田拓郎 作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎 昭和47年
3.今日の日はさようなら  森山良子 作詞・作曲 金子詔一 昭和41年
4.我が良き友よ  吉田拓郎 作詞・作曲 吉田拓郎 (昭和50年)
5.思い出のグリーングラス  森山良子 作詞 C.Putman 訳詞 山上路夫 作曲 C.Putman

6.人間なんて  吉田拓郎 作詞・作曲 吉田拓郎 昭和46年
7.涙そうそう(なだそうそう)  森山良子 作詞 森山良子 作曲 BEGIN 2001年(平成13年)
8.さとうきび畑  森山良子 作詞・作曲 寺島尚彦 1998年(平成10年)
9.結婚しようよ  吉田拓郎 作詞・作曲 吉田拓郎 昭和47年

深夜便の歌
  恋 はるか  南こうせつ 作詞 喜多條忠 作曲 南こうせつ


8曲目の「さとうきび畑」は全部で11連からなり、今回は10分近くかけて全曲放送されました。この曲は1967年(昭和42年)、歌手の田代美代子さんによって初演され、1969年にNHKの音楽番組「みんなのうた」でちあきなおみさんの歌唱で紹介されました。1997年には森山良子さんの歌唱のものが使用されました。今日まで多くの歌手に歌い継がれてきています。

今回も吉田拓郎、森山良子のメジャーなヒット曲を紹介しましたが、たまにはめったに聞けないメッセージ性の高い曲や、往時のカレッジ・フォークも聞いてみたいものです。
3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 斎藤季夫さん

 ♪曲目♪
1.人生劇場  村田英雄 作詞 佐藤惣之助 作曲 古賀政男 昭和34年(昭和13年)
2.無法松の一生(度胸千両入り)  村田英雄 作詞 吉野夫二郎 作曲 古賀政男 昭和33年
3.男の土俵  村田英雄 作詞 二階堂伸(=村田英雄) 作曲 北くすお(=村田英雄)  昭和38年
4.夫婦春秋  村田英雄 作詞 関沢新一 作曲 市川昭介 昭和42年
5.黒田武士  村田英雄 作詞 島田磬也 昭和34年

6.別れの一本杉  村田英雄 作詞 高野公男 作曲 船村徹 (昭和30年)
7.人生峠  村田英雄 作詞 宮原哲夫 作曲 小松原てるを 昭和54年
8.王将  村田英雄 作詞 西條八十 作曲 船村徹 昭和36年
9.皆の衆  村田英雄 作詞 関沢新一 作曲 市川昭介 昭和39年 

深夜便の歌
  恋 はるか  南こうせつ 作詞 喜多條忠 作曲 南こうせつ


村田 英雄(むらた ひでお、1929年1月17日生まれ - 2002年6月13日没)は、演歌歌手、俳優。 佐賀県出身。元は九州の浪曲師。浪曲師として上京し、古賀政男に見出され1958年に歌手デビュー。

1曲目の「人生劇場」は昭和13年(1938年)6月に、楠木繁夫さんの歌でレコード発売されたのが最初です。当時の日活映画「人生劇場・残侠編」の主題歌だったそうです。

2曲目の「無法松の一生(度胸千両入り)」は村田英雄さんのデビュー曲です。ネットで調べたら何度かリメイクされている映画「無法松の一生」に使われてはいないようです。

6曲目の「別れの一本杉」は昭和30年(1955年)11月に、春日八郎さんの歌でレコード発売されました。その後、村田英雄さんを始め多くの歌手が歌っています。
3:00~4:00 にっぽんの歌こころの歌
 アンカー 宮川泰夫さん

 ♪曲目♪
1.二輪草  川中美幸 作詞 水木かおる 作曲 弦哲也 1997年(平成9年)
2.おゆき  内藤国雄 作詞 関根浩子 作曲 弦哲也 昭和51年
3.人生かくれんぼ  五木ひろし 作詞 たかたかし 作詞 弦哲也 昭和56年
4.天城越え  石川さゆり 作詞 吉岡治 作曲 弦哲也 昭和61年
5.北の旅人  石原裕次郎 作詞 山口洋子 作曲 弦哲也 昭和62年

6.夫婦みち  オーロラ輝子(河合美智子) 作詞 津城ひかる 作曲 弦哲也 平成8年
7.五能線  水森かおり 作詞 木下龍太郎 作曲 弦哲也 2005年(平成17年)
8.小樽運河  都はるみ 作詞 吉岡治 作曲 弦哲也 1990年(平成2年)

深夜便の歌
  恋 はるか  南こうせつ 作詞 喜多條忠 作曲 南こうせつ


弦 哲也(げん てつや、1947年9月25日生まれ)は、日本の作曲家。本名・田村正稔(たむら まさとし)。千葉県銚子市出身。
1965年8月、東芝レコードより「田村進二」の芸名で歌手デビューしました。1968年、好きなギターにちなみ「弦哲也」と改名しました。

2曲目の「おゆき」で作曲家デビュー。その後も作曲家、歌手の二足のわらじをはいて活躍しました。 NHKのテレビ番組「あなたのメロディ」で応募曲を歌ってたそうです。「与作」を最初に歌ったもの弦哲也さんだそうです。

4曲目の「天城越え」から作曲家に専念されたそうです。

6曲目の「夫婦みち」はNHKの朝ドラ「ふたりっこ」の挿入歌でした。そういえば、この曲でオーロラ輝子(河合美智子)さんは紅白歌合戦に出演しました。

8曲目の「小樽運河」は都はるみさんの復帰第一弾の「千年の古都」とカップリングされました。宮川アンカーも曲の解説で言っていましたが、演歌ではなくジャズのような曲です。

宮川アンカーによると、弦哲也さんはたくさんの曲を作曲しているので、また特集を組んで放送する予定だそうです。