1:00〜2:00JST ラジオ深夜便 インタビュー Interview
アンカー 遠藤ふき子(Endoh-Fukiko)さん
角野栄子(かどの えいこ、1935年 1月1日生まれ)東京都生まれの童話作家、絵本作家、ノンフィクション作家、エッセイスト。大学卒業後、出版社に勤務。1960年、25才の時にブラジルに2年間滞在。その体験をもとに描いたノンフィクション「ルイジンニョ少年、ブラジルをたずねて」で作家としてデビューする。1985年に発表した『魔女の宅急便』は代表作のひとつであり、宮崎駿によりアニメ映画化され大ヒットした。
アンカー 遠藤ふき子(Endoh-Fukiko)さん
- 児童文学者:角野栄子 魔女の宅急便に掛けた願い
- 鎌倉に自宅がある。最近は出版の仕事で東京に出てくることが多い。仕事は10時から午後4時頃まで、昼間している。夜はあまり仕事をしない。
- 最初に書いたブラジルの子供の話は、早稲田の先生の進めによって書いた。35歳まで本は書かなかった。その後7年間書かず、2作目は42歳の時に書いた。
- 子供の頃は父に物語を読んでもらうのが好きだった。字が読めるようになると自分で読んだ。物語は主人公の運命がいろいろ変わっていくのが面白かった。物語を書きたいとは思わなかった。
- 戦前、5歳で母親を無くしたので、自分のおかけている境遇が寂しかった。自分にも物語の主人公のようにいろんなことが向こうからやってきて変わっていく、そのように自分も(寂しい境遇から)変わっていくことを想像したのではないかと思う。
- 最初の記憶は、母親のお葬式だった。トラウマになったと思う。人生には人の力ではどうにもならないことがあると思った。
- 父親に昔話をしてもらった時の情景(口調、場所など)をいろいろといまでも記憶している。一寸法師、舌きりすずめ、桃太郎..お話の思い出で慰められている。
- 文字が読めるようになったら、絵ばかりでなく文字の多い絵本も読んでほしいと思う。文字から立ち上ってくる情景があると思う。その楽しさを味わってほしい。
- 本の装丁のできる紀伊国屋書店の出版部に一年半勤めた。結婚して退職し、一年ぐらいして1959年にブラジルに行った。主人が建築家だったので、ブラジルの首都ブラジリアを見に行きたかった。お金がたまったらヨーロッパを見て回って帰国しようと思っていた。
- 言葉(ポルトガル語)ができなかったので、主人は建築の図面が引けたので就職はすくできたが、言葉ができなかったので給料がやすかった。私も短波放送の広告営業の仕事をした。結構稼げた。
- 私はとても心配性なんですけど、冒険、好奇心に誘われるって言うことには心配しない。若かったのですね、今考えるとぞっとしますけどね。ヨーロッパとアメリカとカナダを回って帰国した。
- 帰国して翌年が大阪万博だった。 バ一家だった。
- その最初の本を書いたことにより、自分が物を書くことが好きだと気づいた。自分の子供のそばで面倒を見ながら、画板を首に掛けて書いた。
- 「ビルにきえたきつね」(ポプラ社)新宿副都心が浄水場から変わる頃のことを思い出して物語を作った。そこにはイタチや蛇がいた。狐にはあったことはないけれど。
- 「ズボン船長さんの話」(福音館書店)ブラジルへは船旅(マラッカ海峡→インド洋→ケープタウン→大西洋→ブラジル)だったので、水平線・島々のことが印象に強く残っていた。そこで、リタイヤした船長が少年に昔話をするお話を書いた。
- 「魔女の宅急便」(小学館)娘が小学5年生のとき、箒に乗った魔女が猫を連れ、箒にはラジオがぶら下がっている絵を書いた。魔女の暮らしみたいな絵を7枚くらい書いた。私はそれがきっかけとなって「魔女の宅急便」を書いた。その絵は今でも取ってある。
- 娘は絵が好きだったので、絵描きになるかと思ったら結婚して外国に住んで童話を書いている。(娘の作品について)いろいろと言いたいが、口にバンソコをしている(笑い)。
- 「ファンタジーが生まれるとき―『魔女の宅急便』とわたし」(岩波書店)には娘が挿絵を書いてくれている。
- キキの子供が魔女になるまでは(「魔女の宅急便」を)書きたいなと思っている。
- 文字から立ち上ってくるような絵が見えものを書きたい。
- 私が子供の頃に面白い物語を読んで、何かの不安な気持ちのバランスをとっていたと思う。
- ブラジルは移民の国なので、言葉が通じない。その分想像力を働かせてコミニケーションしようとする。
- 「魔女の宅急便」5巻めが5月に発売される。10代最後のキキが登場する。今6巻目を書いている。
角野栄子(かどの えいこ、1935年 1月1日生まれ)東京都生まれの童話作家、絵本作家、ノンフィクション作家、エッセイスト。大学卒業後、出版社に勤務。1960年、25才の時にブラジルに2年間滞在。その体験をもとに描いたノンフィクション「ルイジンニョ少年、ブラジルをたずねて」で作家としてデビューする。1985年に発表した『魔女の宅急便』は代表作のひとつであり、宮崎駿によりアニメ映画化され大ヒットした。
- 小生の中学の同級生のおじさんでブラジルに農業移民した方がいます。茶目っ気のある方で、現在もブラジルで農場を経営しています。小生、ブラジル移民と言えば農業だけだと思っていました。角野さんのように農業以外のブラジル移民があったとは知りませんでした。あと、ブラジルへの船旅は太平洋を横切り、パナマ運河を通るかマゼラン海峡を通ると思っていました。船の航路としては西回りの方が安全で補給もできるでしょうから、考えてみれば当然でした。勉強になりました。
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