3:00〜4:00JST ラジオ深夜便 にっぽんの歌こころの歌 Japanese Sweet Songs
アンカー 峯尾武男(Mineo-Takeo)さん
アンカー 峯尾武男(Mineo-Takeo)さん
- ♪曲目 playlist♪
- 浜千鳥(童謡) 田端義夫 作詞 鹿島鳴秋 作曲 弘田龍太郎 (大正12年 1925)
- 悲しき竹笛 奈良光枝 作詞 西條八十 作曲 古賀政男 (昭和21年 1946)
- 波止場ブルース 田端義夫 作詞 嶋田磐也 作曲 大久保徳次郎 (昭和22年 1947)
- 雨の夜汽車 奈良光枝 作詞 西條八十 作曲 古賀政男 (昭和23年 1948)
- 大利根月夜 田端義夫 作詞 藤田まさと 作曲 長津義司 (昭和14年 1939)
- 別れ船 田端義夫 作詞 清水みのる 作曲 倉若晴生 (昭和15年 1940)
- 青い山脈 奈良光枝 作詞 西條八十 作曲 服部良一 (昭和24年 1949)
- 赤い靴のタンゴ 奈良光枝 作詞 西條八十 作曲 古賀政男 (昭和25年 1950)
- 島育ち 田端義夫 作詞 有川邦彦 作曲 三界稔 (昭和37年 1962)
- 深夜便の歌
はるかな町 なぎら健壱 作詞・作曲 なぎら健壱
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田端義夫(たばた よしお、大正8年・1919年1月1日生まれ)三重県松阪市出身。名古屋の薬屋やパン屋、鉄工所などで丁稚奉公。昭和13年(1938年)、アマチュア歌謡コンクールに出場し優勝する。ポリドールの勧めで上京し、鈴木幾三郎社長宅の書生となる。昭和14年、「島の船唄」でデビュー。昭和21年(1946年)にテイチクに移籍。「かえり船」のヒットを出す。戦前の流れを組むマドロス歌謡で人気を博し、「かよい船」「たより船」「玄海ブルース」で昭和20年代の代表的歌手となる。その後一時低迷するが、昭和37年「島育ち」が大ヒットし、カムバックする。一方、公演に訪れたアメリカ・ラスベガスのスロットで大金を掴むという話題も振りまいた。日本歌手協会の5代目の会長に就任し、平成16年、名誉会長に。今でも現役の歌手として活動を続けている。
- 「悲しき竹笛」の途中で地震速報が入りました。再び最初から放送されました。(小生)
- 「波止場ブルース」は昭和22年の映画『非常線』の主題歌でした。田端義夫さんも出演されていました。(峯尾アンカー)
- 今回放送された曲の音源は、発売後しばらくたってから再び録音されたもので、クリアな音でした。(小生)
- 小生、若かりし頃の奈良光枝さんをはっきりとは覚えていないので、美貌の歌手と言われた頃の写真をネットで探してみました。丘灯至夫さんのトークショーを記録したホームページの中ほどに奈良光枝さんの写真がありました。なるほど美人です。→http://www7.plala.or.jp/edih/gakuyu/oka-seishun.html
奈良光枝(ならみつえ、大正12年・1923年生まれ - 昭和52年・1977年5月14日死去)。本名は佐藤みつえ。美貌の歌手として知られた。青森県弘前市出身。弘前高等女学校卒業後、東洋音楽学校に進学。1940年(昭和15年)、コロムビアから流行歌手としてデビュー。戦後、千葉泰樹監督に美貌を認められ大映映画「或る夜の接吻」の主役に抜擢されキスシーンが話題となり、主題歌の「悲しき竹笛」も大ヒットした。デュエットした近江俊郎もスターダムにのし上げた。近江とのコンビはその後も続き、「愛の灯かげ」「新・愛染かつら」とヒットが続く。他にも「雨の夜汽車」「青い山脈」「赤い靴のタンゴ」などのヒットを放ち、人気投票では常に上位にランクインするほどのトップスターとなった。 昭和40年代に入っても、衰えをしらぬ美貌で、テレビやステージに活躍したが、1977年5月14日、癌性腹膜炎の為、死去。
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