1:00〜2:00JST ラジオ深夜便 母を語る
アンカー 遠藤ふき子(Endoh-Fukiko)さん
アンカー 遠藤ふき子(Endoh-Fukiko)さん
- 母は鹿児島で明治42年生まれ、釜山女学校、京城師範学校演習課(?)を卒業した。小学校の先生をしていた。祖父は京城中学校の教師をしていた。
- 父は42才でなくなった。母は96才で一昨年なくなった。父は頑健なラグビーの選手だったが早死にした。母は弱弱しかった。それでも長生きした。
- 寡婦になってからの母は寮母をして生計を立てた。
- 私が高校を中退して俳優座の養成所に行ったときも反対しなかった。俳優はすぐ挫折した(笑)。
- あんまりくよくよする人ではなかった。ユーモアを解する人だった。
- 94歳で調子が悪くなり病院に担ぎ込まれて、医者にもう長くないと言われたので、母に何かほしいものはないかと聞くと、「ダイヤモンド」と答えた(笑)。
- 親戚中で葬式の準備をしていたら、その後、直って退院してきちゃって皆がっかりした。それからあと2年くらい生きた。
- 俳優になることを挫折して、歌手をやっていた頃に母が弟と一緒に上京してきた。
- 私は横浜でクラブ歌手をしていた。13年歌手をなって鳴かず飛ばずで、33才の時にシナリオコンクールに入賞し脚本家になった。書くことは苦にならない、性に合っていたかも。
- 母は文科系の教師、父は理科系の教師でした。母はじっと家にいるのが嫌いだった。60歳くらいからはじめた短歌の会の会計係を80過ぎまでやっていた。
- 母は60過ぎてから富士山に2度登っている。
- 子供時分からお母さんべったりということはなかった。さっぱりした親子関係だった。私はけっこう母のことを批判的に見ていた面もあった。ある距離をおいていたと思う。
- 母が年老いてから、教師だったせいもあって、若い人を見ると説教する癖があった。年取ってから説教するのに人のことを聞かない人がいたらたいてい元教師だった人(笑)。
- 勉強しなさいとかは言われなかった。母からは昔の人一般のように立ち居振舞いは普通にしつけられた。
- 母の歌集の中で「大まじめに 植民地政策のお先棒 担ぎしものか 教育者として」と言う歌があります。本人は外地での教育者として忸怩(じくじ)としたものがあったのでしょう。家族の者にはそういったことは一言も話しませんでした。
- 今になって、私は母に心配掛けたなあと思います。当時はそんなことあまり考えませんでしたけどね,
- 私が歌手の時には私の歌について母は何も言わなかった。脚本についても、ドラマをみても何も言わなかった。沢口靖子さんかわいいねとは行ってたけど(笑)
- 90過ぎてからちょっとボケちゃって、「子供にご飯食べさせなきゃ」ということがしょっちゅうあった。終戦直後の食糧難の時代が彼女の一生の一番の関心事だったのではないですかね。ボケて、隣のうちに「お米を貸していただけませんか」と頼みに行くこともあった。
- 最後は介護施設に入所した。そこではあまり長くいないうちになくなった。もっといっしょに暮らしてあげたらとも思った。でも(在宅介護は)すごくお金がかかるし、介護する側が(精神的に、体力的に)参ってしまった。
- 母は子供を5人生んで3人幼いうちになくしているが、そのことについてはどうこう話していることは記憶にない。老いの繰言を言うような人ではなかった。
- 母も母の父親も、どこに行っても物怖じしないひと。私もその性格を受け継いでいる。これは引揚者の特性かもしれない。外から日本を見たからかもしれない。いろんな視点からものを見ている。脚本家にとってはこの視点が必要。
- 私は小学校から本を読むことが好きだった。どんな本を読んでも教師をしていた父母は私をとがめなかった。
- 母は、私の生き方にあまり干渉しなかった。寡婦という母自身の生き方にも関連して、自立することを認めていた。そのことはありがたかった。
- 悲観的にならず、嘆き悲しんでいる母の姿を見たことはなかった。前向きの人だった。
- その正確は私にも遺伝して、否定的に物事を見ないことが、いろんなチャンス、出会いを作ったと思います。
- 私は小さい頃しか居ませんでしたが、親が居た朝鮮半島の時代の恋愛ドラマを書いていて,今年の秋に放送予定です。母の供養にもなるかな。お楽しみに。
- ジェームス三木(じぇーむす みき、昭和10年・1935年6月10日生まれ)脚本家、作家、元歌手。本名・山下清泉(やました きよもと)。満州奉天市生まれ。小学生の時に大阪に引き揚げる。演劇に熱中し高校を3年のときに中退。上京し13年間歌手生活を送る。昭和43年・1968年に第18回新人映画シナリオコンクールに『アダムの星』で準入選となる。脚本家となる。現在、映画監督、舞台演出、小説、随筆なども手がけている。俳優・山下規介は彼の子息である。
- ジェームス三木オフィシャルホームページ はこちら→ http://homepage2.nifty.com/jeimusumiki/top.htm
- ジェームス三木さんのお母さんは富士山に2度登ったとは驚きました。小生は数年前に富士山の8合目まで登ったのですが、風が強かったのでそこでやめて降りてきました。(小生)
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