3:00〜4:00JST ラジオ深夜便 にっぽんの歌こころの歌 Japanese Sweet Songs
アンカー 西橋正泰(Nishihashi-Masahiro)さん
アンカー 西橋正泰(Nishihashi-Masahiro)さん
- ♪曲目 playlist♪
- ダンスパーティの夜 林伊佐緒 作詞 和田隆夫 作曲 林伊佐緒 (昭和25年 1950)
- 蘇州夜曲 渡辺はま子 作詞 西條八十 作曲 服部良一 (昭和15年 1940)
- 高原の宿 林伊佐緒 作詞 高橋掬太郎 作曲 林伊佐緒 (昭和30年 1955)
- 夜来香(YE LAI XIANG イエライシャン) 渡辺はま子 作詞・作曲 黎錦光 (Lee Dhing Kwang:リー・チン・クァン) 日本語詞 佐伯孝夫
- 若しも月給が上がったら 林伊佐緒、大月みやこ 作詞 山野三郎 作曲 北村輝 (昭和12年 1937)
- ああモンテンルパの夜は更けて 渡辺はま子 作詞 代田銀太郎 作曲 伊藤正康 (昭和27年 1952)
- 旅愁 林伊佐緒 作詞 高橋掬太郎 作曲 高田弘
- 深夜便の歌
ふるさとの山に向かひて 新井満 作詞 石川啄木 作曲 新井満 (途中まで)
- 林伊佐緒(はやし いさお、明治45年・1912年5月11日生まれ - 平成7年・1995年9月29日死去)山口県下関市出身の歌手・作曲家。日本歌手協会4代目会長。明治大学中退。昭和12年「もしも月給が上ったら」がヒットし、一躍名を知られるようになる。
- 「若しも月給が上がったら」は「もしも月給が上がったら」と読みます。発売は昭和12年で、林伊佐緒、新橋みどりさんで歌っていました。
- 「ああモンテンルパの夜は更けて」は発売当時の昭和27年は、1番を宇都美清さんという男性歌手のソフトな歌唱、2番を渡辺はま子さんが歌いました。この曲についての有名なエピソードがあります。(以下、小生がインターネットで調べました。世界史史上最も広い海域で行われたレイテ海海戦と絡めてどなたか映画にしてほしいです)
この曲はフィリピンのモンテンルパの獄中で、死刑判決を受けていた代田銀太郎が作詞、伊藤正康が作曲したもので、同年の6月に譜面が渡辺はま子の元に送られてきました。同月には渡辺はま子自身の持ち込みでビクターでレコード吹き込み、「ああモンテンルパの夜は更けて」はすでに戦争の記憶が遠くなりかけていた日本人に大変な反響を巻き起こしました。そこで渡辺はま子は、現地のモンテンルパを渡辺はま子自身が訪れ、受刑者たちを直接、慰問しようと決心しました。しかしフィリピン政府のビザはなかなか下りませんでしたが、出発ぎりぎりになってビザが下りました。渡辺はま子はモンテンルパの受刑者たちとの感激の対面を果たし、懐かしい日本の歌の数々を披露しました。
明けて昭和28年、「ああモンテンルパの夜は更けて」のメロディーを刻んだオルゴールがフィリピンのキリノ大統領の元に贈られました。キリノ大統領の最愛の妻と娘は、昭和20年、日米のマニラ市街戦の最中、日本軍の攻撃に巻き込まれて亡くなっています。キリノ大統領は静かにオルゴールの音色に耳を傾け、「この哀しい歌は何という曲か」とたずね、「モンテンルパの死刑囚が作った曲である」との答えに、キリノ大統領はしばし沈思しました。昭和28年6月27日、モンテンルパの全受刑囚の日本送還と、全死刑囚59人の無期への減刑がフィリピン政府によって発表され、同年7月22日午前8時40分、白山丸にて一行は横浜大桟橋に帰国しました。 - 最後に放送された林伊佐緒の「旅愁」はJASRACののデータベースでしか見つかりませんでした。発売年は不明ですが、詩の内容からすると戦後のようです。(小生)
- 本日放送された音源は全て後年に再録されたものです。また、臨時ニュースのために何度か中断しました。(小生)
渡辺はま子(わたなべはまこ、明治43年・1910年10月27日生まれ - 平成11年・1999年12月31日死去)戦前から戦後にかけて活躍した日本の流行歌手。神奈川県横浜市出身。本名加藤濱子。生涯横浜で過ごした。愛称は「おはまさん」。
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