このブログはNHKとは関係のない個人(私)が、NHK FMラジオで放送された「ラジオ深夜便」の一部の番組内容をメモとして残しておくことを目的としています。ほぼ毎日の内容を不定期に更新していきます。
1:00〜2:00JST NHK Radio Program: "RADIO SHINNYABIN"
ラジオ深夜便 
アンカー Anchor 川野一宇(Kawano-Kazuie)さん

     ♪演目 playlist♪
  1. 浪曲「閻魔堂の欺し討ち」  二代目 広沢虎造
     森の石松は挨拶が苦手と言うので兄貴分の七五郎の家にお客に呼ばれますがことわります。それでも説得されて呼ばれて酒をご馳走になり、酔っ払ってしまいます。七五郎は身受山鎌太郎から百両を借りるために女房を使いにやります。七五郎は、その百両を石松に与えて清水に返すつもりでしたが、酔った石松は受け取らずに都田村に帰るという。  いま厄介になっている都田村のやくざの親分(都鳥吉兵衛)の家に帰ってみると、石松は分からなかったが、同じその親分にやっかいになっている、以前次郎長と石松に親分を殺された子分達3人が石松を見咎めます。石松に百両の借金がある都鳥吉兵衛はその3人と結託して石松を殺す算段をします。  閻魔堂まで石松を誘い出し、まんまと石松の後ろから刀を浴びせます。

  2. 落語「ずっこけ」 八代目 春風亭柳枝
     マクラでは、酒飲みにはいろんな上戸があることを、明るく威勢のいい語り口で解説します。
     酒好きの熊が居酒屋で酔っぱらった熊が小僧を呼んでもう一本銚子を持ってくるように頼みます。もう看板なのでと断られますが、無理に頼んで持ってこさせます。次には都々逸を歌い出します。小僧が困り果てていたところに、兄貴分が迎えに来て、「湯へ行くといったまま帰ってこないので、熊の女房が心配している」といってつれて帰ろうとします。熊は銭も持たずに呼び声に惹かれて居酒屋に入り、知り合いが来るまで待っていたところ看板になってしまったとのことで、兄いが勘定を払います。
     帰り道で酔っぱらった熊は兄いと久しぶりに飲みたいと酒屋と間違って小間物屋や薬屋に入ろうとします。熊は「帯が緩んだ」と言うが、兄いはかまわず熊の家まで連れ帰ります。熊の女房に引き渡すと、どてらしかないと言われて、途中で熊を落としてきたことに気づきます。引き返して探すと、なにやら人だかりがしています。近づいてみると熊が褌一本の裸になって転がっています。今度は本人を家まで連れて帰ることが出来ました。
     熊の女房は兄貴分にお礼をいい、どこで寝転がっていたかとたずねます。すると兄貴分は「あすこの郵便局の四つ角におっこっていやがんの」と答えます。女房「あら、あんな人通りの多いところでよく人に拾われませんでしたね」

    二代目 広沢 虎造(ひろさわ とらぞう、明治32年・1899年5月18日生まれ - 昭和39年・1964年12月29日死去)浪曲師。東京府東京市芝区(現・東京都港区芝)出身。本名・山田信一。19歳の時に上方の浪曲師広沢虎吉に弟子入りし、23歳で二代目広沢虎造を襲名、帰京。「虎造節」で、戦前から戦後にかけて一世を風靡した。
     持ちネタは、国定忠治、雷電爲右エ門、祐天吉松など多岐に渡るが、中でも人気を博したのが、講談師神田伯山直伝といわれる「清水次郎長伝」であった。とりわけ森の石松を題材にした「石松三十石船」は人気が高く、「寿司を食いねえ」「馬鹿は死ななきゃなおらない」などのフレーズは、ラジオ放送の普及も相まって、国民的な流行語となった。
     1959年(昭和34年)に脳溢血で倒れ、1964年(昭和39年)死去した。虎造の死後、浪曲界には虎造に続くスターが生まれず、また浪曲そのものが高度経済成長期以降の主流となったテレビ放送では全く映えなかったため、以降浪曲界は、現在まで続く長い冬の時代を迎えることになる。
  • 閻魔堂の欺し討ち」は「清水次郎長伝」の第15段めの話になります。次の16,17段めで石松が殺され死んでいきます。
  • 浪曲は芸としては小生大好きなのですが、最近広域暴力団を構成する暴力団が清水一家を復活させて襲名したとの報道がありました。それ以来、暴力団を認知することにつながるようで、清水次郎長伝を聴く気持ちがなくなりました。石松は愛すべきキャラクターなんですけどねぇ。
  • 2006年10/25水に放送された「三十石船道中 二代目 広沢虎造」の記事はこちら→ http://radioshinyabin.blog71.fc2.com/blog-entry-223.html
  • 八代目 春風亭柳枝(しゅんぷうてい りゅうし、明治38年・1905年12月15日生まれ - 昭和34年・1959年10月8日死去)落語家。本名は島田勝巳。温厚篤実な性格で、客に対しても丁寧な物腰で語る芸風に人気があった。ただ、酒癖が悪く酔うと人格が変わって荒れるのが欠点だったと言う。1959年9月23日、ラジオ公開録音で「お血脈」を口演中に脳出血で倒れ、10月8日死去。
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